湯神社は地震などの天災によって道後温泉の湧出が止まった際に、湯祈祷を行ったところ再び湧出が始まったと伝わる。少彦名命など四柱大明神を祀り、温泉の守護人としてうやまわれてきた古社である。そばの中嶋神社は製菓の祖神である神田道間守命をまつり、菓子メーカーの崇敬が篤く、玉垣には県内や四国各地の製菓業者の寄進が見られる。また柑橘の祖神で柑橘業者にも崇敬が篤く、境内にはみかんの原種である橘の天然記念物、ニッポンタチバナを接木した植樹もある。

湯神社の正面参道側の石段を下ると、道後温泉駅から伊佐爾波神社へ至る伊佐爾波道へとでる。突き当たりが伊佐爾波神社の参道になり、長い石段を境内まで再び登ると、135段の石段の上からは、道後温泉電停の先に松山城を遠望できる。桃山風の豪華な朱塗りの社殿の神社で、日本三大八幡造りのひとつ。楼門や本殿など4棟が国の重要文化財に指定されている。湯築城へ移った河野氏が信仰し、湯築八幡宮とも呼んでいた。松山3代藩主の松平定長が、将軍に命ぜられた流鏑馬で金的を射止めた褒美として建立された縁があり、勝負と数字に強くなるといわれる。

社殿は仏教の思想も入り、欄間に迦陵頻伽が彫られている。額の八の漢字は鳩の絵になっているのは、鎌倉の鶴岡八幡宮のよう。社殿を囲んだ回廊に絵馬や奉納画が並び、赤穂浪士関連の絵馬や国性爺合戦の絵のほか、和算が解けたのは神様のおかげと感謝の意を込めた「算額」が22枚と多い。算額は和算の問題を収めることもあり、これは各色の円の直径から白い円の直径を出すというもの。境内の裏を下り続く宝厳寺は、時宗の開祖である一遍上人が生まれた寺。

ここから下る坂は上人坂との名のほか、ネオン坂の名の通り門前町に遊廓があった通りだ。現在は名残はほぼないが、角丸窓の建物や2階にテラスの形跡が見られる木造建築などが見られ、坂の下には妓楼らしい各式ある建物も見られる。沿道には子規が詠んだ花の句を記した案内板も。妓楼建築を折れると、向かいの角に杉玉とビールのホーロー看板と樽酒の木看板を掲げた古い酒屋がある。正岡子規と夏目漱石が俳句を詠みながら歩いた道で、酒屋や食料品、小さな商人宿や喫茶、料理屋が並び、遊廓からの続きらしい鄙びた佇まいがする。伊佐爾波神社の石段と合流するため、遊郭からの朝帰りを朝の参拝にうまくごまかせたとも。