JR松山駅の三角屋根は、小説「坊ちゃん」の舞台である旧制松山中学をイメージ。駅前の正岡子規の句は、従軍記者として日清戦争に赴く前に詠んだもの。伊予鉄道の市内電車には駅前の地下通路を降り、大街道方面への電車を利用する。駅を後にやや行ったところで、線路を横断。路面電車と鉄道が平面交差する、日本で唯一のポイントである。南堀端通りに出ると松山城の堀沿いを行き、南堀端電停で下車して堀に沿って歩く。対岸の三ノ丸は、愛媛県美術館や県立図書館がある文京地区で、堀には噴水、堀端には梅の花が鮮やかだ。

堀の西寄りの角を折れると、正面に本丸の天守や櫓群が連なる、標高132mの松山城の城山を見上げられる。堀端の小さな祠と鳥居のトンネルは、八股榎お袖大明神。城山の森から堀端の大榎に移り住んだ「お袖狸」を祀る社で、商売繁盛や病気平癒など様々なご利益があり、市民に親しまれた社だ。鳥居のトンネルを堀端に向かって下り、振り返ったところの榎の木のたもとに、檜作りの社がある。何度も伐採や移転の危機にさらされながら、今も市民の信仰を集める小社である。

南堀端通りをさらに堀沿いに行くと、正面に1929年築、緑のドーム屋根が特徴の愛媛県庁本館が見えて来る。このそばを通り、黒門口登城道から松山城本丸を目指す。二ノ丸は本丸を守護するため、高い石垣と櫓や門、塀で囲まれており、石垣に沿って登りそれら強固な建造物の周囲を回り込んだところが、松山城二ノ丸史跡庭園の入口。内部は柑橘を植えた表御殿跡と、砂利と芝生で建物の間取りを表した奥御殿跡からなっている。二ノ丸史跡庭園を過ぎ、城内最大の櫓門で番所も置かれた要衝の欅門跡を過ぎ、西大砲台だった高石垣の下を登った先、持弓櫓のたもとから、二ノ丸史跡庭園の配置を見下ろすことができる。

持弓櫓の先、尾谷門跡を抜けると、登城道は山中の急な石段になる。ところどころ90度や180度に折れ曲がり、山腹に沿った蛇行も激しい。樹種はもとはアカマツ、現在はツブラジイが多いほか、クスノキやアラカシなども。登り切った石垣が本丸の石垣で、大手門の跡を過ぎて正面に見えるのが太鼓櫓。その奥、中ノ門跡のところからは、長く続く石垣の斜面の先に天守群も遠望できる。折り返して坂を登ると戸無門、そこから折り返すと櫓門の筒井門と埋み門の隠門が並ぶ。本丸の守りの要で、隠門は筒井門に侵入してきた敵を、側面から攻める役割がある。筒井門からさらに登り、辰巳櫓から続く太鼓門へ。本丸大手の正門の櫓門で、筒井門・隠門に続く防衛線だった。