和歌山城天守からは最も新しい登城口の新裏坂から下る。階段で最短距離で城内の駐車場へと下り、不明門からいったん城外へ。不明門は落城や敗北の際の敗走や体制立て直しの出口として用意された門で、普段は開けられることはなかったという。向かいの小高い丘には、徳川頼宣が守護神として駿河から遷座した奥山稲荷神が建ち、境内の時鐘堂は徳川吉宗が紀州藩主の頃に時を告げるために建立。時鐘堂は藩士の登城の知らせにも使われ、二人が交代で一刻ずつ撞いていたという。

隣接の岡公園は、中央にある標高24メートルの緑泥片岩の丘陵が特徴。和歌山城の築城時に石垣の石を切り出す「石切丁場」になっており、奥寄りにその跡である岩の断崖がそびえる。園内には移築された長屋門や茶室、外相だった陸奥宗光銅像など記念物が多い中、昭和46年まで和歌山市中心部から和歌浦まで運行していた、路面電車の車両が静態展示されている。「くまの」のヘッドマークをつけたSLC57も保存され、ちょっとした鉄道公園風。高さ5m、斜度45度という、落下するような滑り台も話題を呼んでいる。