
和歌山城二ノ丸から天守へは、裏坂という登城路を登っていく。台所門から本丸・天守曲輪へと至る搦手(裏側)側の登城ルートで、枡形を抜けると屈曲した急な石段が続く。最初に曲がるところにある銀名水は、本丸の日常用水かつ籠城時の非常用水として使用された井戸。さらに苔むした野面積みの石垣が、立ちはだかるように続いている。和歌山城は平城で、比高は40mと高低差がある。石垣や石段の一部には、転用石として石仏が使われているのも見られる。
かつて本丸には本丸裏門があり、坂を上ると左手に本丸御殿の跡、右手に天守の建つ天守曲輪が見えてくる。天守は浅野幸長が標高49mの峰上の本丸に設け、のちの徳川頼宣が入城した際に天守曲輪と呼ぶようになった。
大天守は三層建で時計回りに多門、天守二之御門(楠門)、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守へと続く連立式天守だった。天守は落雷と戦災で2回焼け、先代は国宝だったとか。現在のは昭和33年築で、70年物なりの風格は出ている。楠門は天守閣二の門にあたり、総楠木造りであったため楠門と称されている。曲輪には西条八十作詞「鞠と殿様」の歌碑も。