玉津島神社からは市町川に沿った「あしべ通り」を、御手洗池方面へ。川沿いには防風林の松が点在し、石橋も見られ雰囲気がある通りだ。天神山の麓に広がる御手洗池は、入江の先端部が埋め立てられて残った池で、かつては紀州東照宮の参詣者の禊の池だった。池端から紀州東照宮の参道はすぐで、金文字の扁額が掲げられた石鳥居をくぐり、鬱蒼とした林の中に青石の参道、石灯籠と赤い玉垣が続く様は、日光のそれのような厳かな佇まいである。

紀州東照宮は1621(元和7)年に、初代藩主の徳川頼宣が南海道の総鎮護として創建した社である。権現造の社殿は「関西の日光」とも呼ばれ、狩野派と土佐両派の絵、左甚五郎の彫刻や狩野探幽の壁画など、日光東照宮に匹敵する絢爛さを見せる。煩悩を象徴する108段の急な階段「侍坂」を登りつめると、正面に朱塗りの楼門が。唐門から拝殿・石の間・本殿と続く配置は、日光と同じ配置になっている。石段の上からの和歌浦の展望が見事で、片男波海岸方面の当時の絶景の片鱗は伺える。