
高岡大仏の先、沿道に織物問屋など古い建物が並び、正面に赤い駐春橋が見えてくると、古城公園の入り口になる。加賀前田家二代の前田利長が、1609(天正14)年に入城。それまで居城だった富山城が大火で焼失し、政治経済の中心で交通の要衝でもあるこの地に着目し、築城の名手であるキリシタン大名の高山右近の設計で築城された。明治期の廃城令時に、市民の努力もあって民間払い下げを免れたため、二の丸、三の丸などの曲輪、特に水堀はほぼ完全な形で現存するのが特徴である。駐春橋から見る南外堀の眺めは、木々を水面に映し水鳥が憩うなど、当時のままの様を思わせる。
二の丸を過ぎ、さらに同じ佇まいの内堀も渡り、本丸へと入る。右手の相撲場の裏手には小高い丘の「卯辰山」があり、藤子不二雄両先生がここで将来を語っていたという。直進したところの射水神社は、富山県の総氏神である越中総鎮守一宮。高天原から降りてきてこの地を開いた二上神が祭神で、農林水産・商工業いずれの守り神、水を司る清めの神として崇められている。鳥居は伊勢外宮の板垣北御門から譲与、紅梅は社が明治8年にこの地に遷座された際に奉納された、樹齢400年の銘木と、境内に由緒ある見ものも点在する。
本丸の北側は芝生園地の「本丸広場」に整備され、市内の和田川の護岸工事に使われた石垣の石のほか、こちらにもアート作品が並ぶ。人が隊列を組んで進む、斎藤素巌の「行路」、ギリシャ神話を題材とした、澤田政廣「レダ」ほか、北村西望、朝倉文夫ら巨匠の作品も。最奥には前田利長公の騎馬像も配され、銅器の町高岡の技術で鋳造した作品が、ほか城内の随所で見ることができる。内堀の南側は歩く人が少なく、階段を下るので水辺まで近づける。京都の庭師により作られたとされる「古城の滝」が、内堀へと流れ落ちる音だけが響く、静寂な空間である。