
城郭の正面玄関だった大手門から続く大手橋の後から、通称「司令部通り」を高田駅方面へ。堀が見える位置にある榊神社は、徳川四天王のひとり・榊原康政を祀った神社である。高田藩は松平忠輝や松平光長など、徳川幕府の親藩や譜代大名が代々藩主となり、江戸期後半になると榊原康政を藩祖とする榊原家が藩主を勤めた縁がある。高田が越後と北信濃の拠点として、江戸幕府から重要拠点とされていたことが伺える。通りから石畳の長い参道を歩き、奥の社殿を参拝。社宝として康政公の鎧、兜、刀剣を保存されているという。
司令部通り沿いは「大手町」で、屋号とする医院、学校、病院などが並ぶ。歩道は舗装され、街灯は師団の赤煉瓦の門柱を模して、雰囲気を出している。青田川を渡り案内に従って左に折れると、城郭外すぐに位置する「馬出し」という広場に。かつては城外へ出る「市の橋」が架けられていたところで、城へ出入りする人や馬で賑わった場所である。あたりには奉行所や領役所(裁判所)、町会所、時の鐘などが置かれた役場街、かつ外からの防御の役目もある要衝だった。また、付近には東北電力など2つの擬洋風建築が並び、明治期は師団からの通り沿いだった佇まいも見せている。
この先には、陸軍第13師団の旧師団長官舎だった洋館建築が残っている。第3代の師団長・長岡外史中将によるもので、内部は和洋折衷、大食堂やサンルームも備えた豪勢な作りだったという。1991(平成3)年まで自衛隊幹部の宿舎として現役で使われ、移築保存の後、今後は高田の老舗フランス料理店が、店舗として活用することとなっている。高田は町家の商店の建物を、休憩や見学施設、店舗に積極的に活用しており、町内の回遊や滞在促進による賑わいの創出に取り組んでいる。
ちなみに銅像の長岡中将はスキーの普及に尽力した人で、オーストリアから派遣されたレルヒ少佐に、師団へスキーの指導をしてもらっている。これが日本のスキーの発祥といわれ、高田は日本のスキー発祥の地とされている。レルヒ少佐が指導を行った市街南西の金谷山には、スキー発祥記念館があり、少佐の銅像に記念碑も建ててアピールしている。