
本町通りの雁木は、奥州街道の分岐へ向かうにつれて、時代を遡るかのように古びてくる。柱も屋根も木造が主となり、沿道は街の電機屋、呉服屋なども普段使いや老舗の店舗も。いずれも間口が狭く奥行きが長い、当地の典型的な町家建築。ホーロー看板も掲げられ、かつての賑わいも伝わってくる。鍵辻の交差点が北国街道(奥州街道・善光寺街道)と加賀街道の交点で、北寄りの宇賀魂神社の境内に、奥州街道と加賀街道の道標石が残っている。奥州街道は柏崎・新潟方面へと続く道で、現在の本町東通りにあたる。通り沿いには当時のままの雁木や町家が集まっており、市街で最も往時の面影を残すエリアとなっている。
本町7丁目交差点から順に、今風の文具を扱う大谷文具店、洋品店となっている佐藤惣と続き、昭和初期の町家を使ったきものの小川。ご主人によると、高田城下町の町家は間口は二間、奥行は町人町は平均して60メートル、職人街の大町は半分の30メートルに、町割りの際に定められていた。京都の大工による平入で、間口が狭く窓が設けられないため、中に吹き抜けを配して明かり取りの窓を設けている。吹き抜けに渡り廊下を設けるのも特徴で、こちらは壁際、その隣の昭和建築の高野麻屋の建物は中空に配されていた。
このあたりはかつて善光寺町と呼ばれ、江戸期には材木商も集まっていたという。奥州街道を先へ、長門町界隈は昭和期の雁木の町家が続き、生活感が漂う一角。建物の梯子は雪下ろし用で、屋根に登るためにつくりつけられているのも、雪深さの象徴である。