秋田市民市場から、再び仲小路へ戻り直進。沿道に2つの美術館があり、アートラインの別名もあります。久保田町交差点を渡ると、久保田城跡の城域へと入ります。渡った先の左手は外堀で、堀を見渡すポケットパークが設けられてます。通称「大手門の堀」で、遊歩道を降りてみると水面を一面に埋め尽くすハスが圧巻。花期は7月下旬からで、ピンクと白の可憐な花が咲き乱れます。二層の門があった大手門跡から城内へと登城して、大手門通りを登り、黒門跡を目指します。堀の多くは埋め立てられましたが、黒門跡のそばには内堀の一部が。黒門から大手門からこの門経由が、正規の登城路でした。

久保田城跡は秋田藩佐竹氏の居城で、関ヶ原の合戦後に入部した藩祖・佐竹義宣が築城しました。標高40mの神明山に設けた土の城で、天守や石垣を据えなかったのは財政難や技術不足、幕府へ武力を表明しないなど諸説あります。また「久保田」は築城当時の地名で、江戸期までは正式な藩名にもなっていました。なお、この城は「秋田城」とは呼ばれず、市街の北寄りにある奈良平安期に造られた古代城柵が、その名を冠しています。

黒門跡の下部の石組は、土留め用のもの。枡形をクランクして、二ノ丸へと入ります。二ノ丸の上は帯曲輪・本丸の、三段式の縄張。二ノ丸の佐竹資料館は藩主・佐竹氏にまつわる歴史資料を展示していて、 藩祖の佐竹義宣の肖像画も展示されています。二ノ丸から本丸へと登る長坂を上がり、ニノ門である長坂門跡を抜けた先が表門の一ノ門。本丸の入口に建つ、二階建瓦葺の楼門で江戸期に火災に遭い復元、石垣を伴わない城門です。表門に使われていた礎石は、復元時の貴重な史料になりました。御物頭御番所は城の警備をした物頭が詰めた建物で、久保田城内唯一の現存建築です。