阿波おどり会館から北へ、眉山の山裾沿いには白壁に山門が続く寺町が広がっています。蜂須賀家政は1585(天正13)年に阿波に入国すると、徳島城を中心に城下町を整備。城がある渭山から見て西側の眉山山麓に、寺院を集めました。防御の要衝となったほか商人や町人の檀那寺も多く、モラエスほか著名人の墓もあります。瓦塀を設けた寺も見られ、四国自然歩道「四国のみち」も通ってます

塀に囲まれた路地から様々な寺院が見え、モダンな屋根の浄智寺に東宗院の大屋根と般若院の唐破風など、塀越しの眺めも見ものです。本行寺には島原の遊女で名妓の、夕霧の墓があります。新四国曼荼羅霊場の札所の東宗院は、本尊は如意輪観音。眉山湧水群の一つ・錦竜水はミネラル分の多い硬水で、藩主の飲料水はじめ、市民の飲料水として販売もされてました。

願成寺の山門をくぐると、右手に六地蔵と、孔雀宝塔が。向かいには徳島七福神の大黒天像で、一願の不動明王も配されます。春日神社は蜂須賀家に崇敬された「徳島市中五社」のひとつで、奈良の春日大社の分社。拝殿には鳳凰や龍などの彫刻が素晴らしく、左正面には干支の大絵馬が掲げられています。善福寺は阿波西国三十三霊場の札所で、毘沙門天と弁財天の前に下がる願い数珠は回して願掛けするもの。徳島城下で最大の伽藍だった常慶院は、別名「滝薬師」と呼ばれます。