城の北東の鬼門には凶事の際以外開かない「数寄屋門」があり、門の前には太鼓橋の数寄屋橋が架かります。正門だった鷲の門も、数寄屋橋とともに城郭の復元建築です。城郭の南東は居館があったエリア。徳島市立博物館に隣接する旧徳島城表御殿庭園は、蜂須賀家の表御殿の庭として造られた庭園。千利休と師弟関係の茶人武将・上田宗箇の作庭による、桃山時代の名園である徳島城表御殿庭園です。

枯山水庭と築山泉水庭の二庭を有し、鑑賞式と池泉廻遊式を兼ね備えています。コンパクトですが、隅々まで歩けるのも特徴。枯山水庭は書院の庭で、高価な蘇鉄は権力者の象徴。居間の庭だった築山泉水庭は、堀から海水を引いた潮入りの庭園です。阿波青石の石橋は、初代藩主蜂須賀至鎮が踏み割った逸話が。築山泉水庭は心字池に、岩の組み合わせで亀と鶴を表してます。