城外へは黒鉄門の南側を、大手門側と逆方向へ。人通りは少ないですが、御台所屋敷跡の史跡や遺構と復元の石垣の境など、興味深い史跡が続きます。裏門である「搦手門」から城外へ、吉田東洋が開設した藩校致道館跡はには、表門が武道館の門として残っています。直進すると、江ノ口川のほとりへ。高知城の北から西側へと流れる川で、鯉や亀の姿も。八百屋や干物、飲食店が集まる升形商店街を抜け、路面電車の枡形電停をやや行ったところが坂本龍馬誕生の地です。

龍馬は1835(天保6)年11月15日、この地で誕生しました。龍馬の両親の坂本家は新規郷士となった際に才谷屋から分家。構えた屋敷は敷地は碑から南側一帯で広大でした。界隈の本丁筋(上町本町)は、城下町で最初にできた道。龍馬誕生の地から路面電車の通り沿いのやや先は、龍馬の両親・坂本家の本家「才谷屋」があったとされる場所です。龍馬の本家はここで質屋、酒屋、呉服商などを営んでおり、播磨屋や櫃屋と並ぶ豪商で屋敷も広大でした。ここにある同じ屋号の店は、喫茶店をはじめ宴席ほか学習塾まで。往時の才谷屋を思わせる、多彩な業種です。

路面電車の通りからひと筋南が、かつての水通町。中央の用水路は、生活用水にされてました。ここにある龍馬の生まれたまち記念館は、龍馬が生まれ育った上町をテーマとした記念館。昔の上町が半立体で再現され、模型では本家・才谷屋の質店の様子も。絵巻で描かれた、幼い頃の龍馬の逸話もあり、気弱な龍馬を気丈な姉・乙女が鍛えた様子が記されてます。離れはかつての坂本家の離れ部屋を再現。中庭では龍馬、姉の乙女と並んで写真も撮れます。昔の上町の町割りによると、水通町に商店や郷士の屋敷が並んでいたのが分かります。