
平和公園北寄りは、爆心に近く史跡が集中している。折り鶴が納められる「原爆の子の像」は、各地から鶴が年に1000万羽送付される。鶴は飾られた後、灯籠流しの原料に再生されるという。本川橋と元安橋を結ぶ中島本町本通りはかつての繁華街で、中島本町の町民慰霊碑の「平和乃観音像」の傍に当時の地図がある。元安橋側には現在のレストハウスの場所に、燃料会館の文字が。
すぐ近く、元安川沿いに建つ平和記念公園レストハウスは、もと昭和4年築の呉服屋「大正屋」で、後に燃料組合が使用していた。川側に窓がなく爆風が吹き込まず、倒壊を逃れた。内部は見学でき、地下室には柱に焦げ跡が残っている。爆心地から170メートルながら、店主の野村英三氏は当時、地下の資料を取りに行った際に、金庫の前で被爆。社員は全員死亡しましたが、平和公園内で氏が唯一生き残ることができたという。
あたりには、ちょっと意外な原爆の史跡も。太田川の対岸にある本川公衆便所は、何の変哲もないトイレだが被爆建物。中国新聞の被爆後の写真にも、その建物が見られる。近年にそれに気がつかれ、入口に被爆建物のプレートも貼られている。
元安橋を渡り、爆心地付近と原爆ドームも歩きましょう。