
鳥取城は鳥取市久松山に築かれた城郭である。時代的に構造が大きく2つに分かれ、久松山山頂付近が戦国期の山城。山麓から中腹にかけての「山下ノ丸」と呼ばれるところが、江戸時代の近世城郭となっている。
仁風閣からやや登って西坂下御門をくぐり、まずは右膳之丸へ。仁風閣を見下ろし、二ノ丸三階櫓の石垣直下を見上げながら行き、細い石段を上り切ると二ノ丸へ。ここは藩主が暮らす二ノ丸御殿が置かれていた曲輪で、1619(元和5)年からの大改築で使った石垣を切り出した石切場、三階櫓の石垣が見られる。三階櫓石垣 天端角石は、上面の角の石。棟梁の名が刻まれており、修復時に積まれたものとされている。
かつてあった三階櫓は高さ17.8メートルあり、山上の天守が焼失した後は、天守閣の役割を担っていた。藩の神社の御神木で作られるなど、権威を保った建物だったことからも、それが伺える。城郭の要衝だけに眺めも見事で、右に右膳之丸、正面に仁風閣と米倉跡、水堀。左の三ノ丸跡は鳥取西高校が見下ろせた。
二ノ丸の走櫓跡から菱櫓跡の石垣に登り、周囲を見渡すと左正面の一段高い曲輪が天球丸だ。初代藩主池田長吉の姉・天球院が、婚家から戻り長吉の元、居館を設けた曲輪である。表御門跡から一旦下り、さらに登り返したところに位置し、角がない半球の形をした石垣・巻石垣が特徴的だ。背後の石垣が膨らみ崩落するのを、抑えるために設けられ、護岸や港湾を建造する職人によるものとされる。
石垣の下の楯蔵跡から、天球丸巻石垣〜三ノ丸を遠望すると、山麓の城郭ながら久松山の山腹を利用した、山の城なのが実感できる。では城郭を下り、砂丘へと行きましょう。