
智頭街道の奥寄りまで歩くと、鳥取城がある久松山が間近に近づいてくる。案内に従い三ノ丸へと入り、水堀越しに仁風閣と城山が左手に。さらに進むと、鳥取城跡と周辺を整備した「鳥取城跡・久松公園」内へと入って行く。入口には、智頭橋にゆかりの像があった童謡「ふるさと」の碑があり、童謡があたりに鳴り響いている。
水堀を宝珠橋で渡り、米倉跡だった公園を過ぎ、門を入ると、フレンチ・ルネッサンス様式の白亜の洋館が奥にそびえている。左手にそびえる鳥取城二ノ丸の石垣を見て、敷き詰められた砂利を邸宅前へ。仁風閣は明治40(1907)年築。当時皇太子で後の大正天皇が山陰行啓時の宿泊所として建てられた洋館である。鳥取池田家の第14代当主、池田仲博侯爵の私費で建てたもので、設計は赤坂離宮など宮廷建築の第一人者と言われた片山東熊。左右対象、シンメトリーの外観が特徴的だ。
建物は内部も見られ、1階は鳥取藩や藩主・池田家の歴史などを紹介する史料館になっている。芝生の広場の先には、江戸時代後期に造営された「宝隆院庭園」がチラリ。主に随行した方々が滞在した部屋が並び、間取りは当時のままになっている。奥の螺旋階段はケヤキ製で、装飾も見事。支柱がない構造は、当時としてはは珍しい造りである。
絨毯が敷かれた階段で2階へ上がると、皇太子が滞在した御座所へと出る。マントルピースにはイギリス製のタイルが貼られ、椅子やソファ、テーブルも当時のものが残る。隣の謁見所からサンルームへ出ると、波板ガラス越しに庭を一望。部屋の入口上には、東郷平八郎直筆の「仁風閣」の書の額が掲げられていた。建物の命名も、東郷元帥が行ったそうだ。
背後には鳥取城の石垣が見られ、この後登っていきましょう。