
水戸黄門神社に参拝してから、東寄りから城跡へと登る。国道沿いだが、左に城山の緑があふれる。二ノ丸と向かいの御本所(本丸)とを隔てる大堀切は、現在はJR水郡線の線路が敷かれ、堀切沿いに二ノ丸を登りきったところには、柵町坂下門が復元されていた。かつては二ノ丸の南口にあり、上に坂町門との間の坂で馬の下乗と下馬をしていたという。往時の写真もあり、隣には徳川頼房像が建っていた。向かいは水戸三高で、かつては女子校だったそう。
反対側を空堀越しに望めば、左右の隅櫓があった場所がこんもり緑の林になっているのが分かる。本城橋で堀というか線路を渡り、続いては御本所へ。現在は水戸一高の敷地で校門は橋詰門跡。土塁による枡形が残る。ちょっと入ったところに建つ薬医門は、現存する唯一の水戸城の建造物だ。かつては城門で本丸の表門だった勇壮なつくりは、城郭の威厳が偲べるかのよう。
門に寄ると安土桃山期の様式らしく、太い木割と化粧棟木、雄大な蟇股と、豪壮かつ優雅な仕様も見事なものである。傍らには水戸城の歴史の説明、そしてここがかつて本丸だったことを示す案内板も。大堀切の北側は、水郡線が那珂川を渡りその先に開ける田園、南は水戸駅回りの繁華街と、対象的な眺めが見られる。
引き返して、続いては二ノ丸を横断して歩く。通りは「水戸城跡通り」と名付けられ、各校の塀や門が白壁の瓦塀や木造にされるなど、城散歩が楽しめる景観が整備されているのがいい。現在は水戸三高と水戸二中、茨城大学教育学部付属小の三校が敷地のほとんどを占め、かつてはそこに広大な二ノ丸御殿が建っていた。
枡形が設けられた杉山門は、那珂川端から急に城内へ登る杉山坂の上に置かれた門。二中の片隅の格子戸の先は、ベンチが設けられた見晴台で、水戸城の北側の堀の役目だった那珂川から北の田園を遠望できる。圧巻は樹齢400年の大シイ。根回りが4.1mと3.3mの二本の木からなり、樹高は18.6m。戦国期から自生していたというから、構造物のない水戸城の歴史の生き証人的な存在といえる。
では、大日本史がらみの見学施設へ。