
踏切を再度超えてやや行くと、ようやく中尊寺の入口・月見坂の下へとたどり着く。中尊寺は、天台宗の東北大本山である。慈覚大師を開山とし、長治2年(1105年)に奥州藤原氏の初代清衡公が、多宝塔や二階大堂など多くの堂宇を造営。その趣旨は前九年の役・後三年の役の戦乱でなくなった人の霊を慰め、仏国土を建設するものだったという。14世紀に堂宇は消失したが、現在も金色堂をはじめ3000あまりの国宝や重要文化財を伝えるている。
義経堂を焼き討ちされた際に最後まで主君を守った、武蔵坊弁慶の墓所に参拝して、表参道である月見坂へとりかかることに。始めはかなり急で、登りきるとアップダウンがそれほどない尾根道を行く。樹齢300年の杉木立の中を行くが蒸し暑く、高台を時折抜けて行く風が気持ちいい。東物見からはこの先は外地と言われた北上川(衣川)と束稲山を遠望できるが、JRの高架や東北自動車道が目立ち、兵どもが夢の後といわれる田園風景や北上川はあまり見えない。
参道の沿道には様々な堂宇が並び、どこも参道沿いすぐにあるのでちょっと立ち寄れる。登りきり最初の堂宇・弁慶堂は、本尊は勝軍地蔵で勝負事の神様で、「勝」の字の絵馬が並び、等身大の弁慶の木像と義経の坐像も鎮座し、こちらの人気が高い。地蔵菩薩を安置し道祖神もある地蔵堂の先に、山全体の中心である本堂が構える。伊達宗勝の屋敷門を移築した、薬医門形式の表門をくぐると、明治42年再建の堂内に本尊である総高5mの釈迦如来像が拝める。その荘厳さから、ここを金色堂と勘違いする観光客もいるのだとか。
本堂を出て右の池越しにある峯薬師堂の前には、「め」の幟やお守りが苔むした境内に目立つ。本尊は薬師如来像で眼病にご利益があり、「め」の字の絵馬も売っていた。邪を払う不動明王をまつる不動堂は、昭和52年建立の祈祷堂。申の神様で大日如来をまつる大日堂は、自身の干支なので参拝。平等院の様式の鐘楼を過ぎると、中尊寺奥の中心部に至る。
いよいよメインである、あの堂へ行ってみましょう。