能見台〜金沢テレ休みさんぽ、緑地と歩道の所以である能見堂というお堂は、芝の増上寺に所以がある地蔵堂で、緑地中程の高台に配されていた。建物は明治初期に焼失してしまい、現在は跡地に碑が残っているのみである。遊歩道から一段高い場所に緑地が整備されいくつかの碑があるが、眺めの方は木々に隠され今ひとつである。

横浜市の方なら景勝「金沢八景」はご存知だろうが、この能見堂が八景発祥の地とされ、江戸期に建てられた碑も残っている。江戸期にまだ界隈が大きな入江の頃の景勝地で、文字通り八つの名勝が数えられていた。平潟湾に野島、瀬戸神社など、なお残るゆかりの地もあるものの、埋立と宅地開発で現在はほぼ面影がなくなってしまった。

説明板によると金沢八景は、明からの渡来僧が故郷を偲んでここで詠んだ歌が始まりとあり、安藤広重が描いた浮世絵で広まったという。鎌倉方面へ向かう旅人にも評判の眺めだったようだが、かつての入江は干拓され埋立られ、京急の文庫と八景の駅周辺の市街地や工場に。砂州で陸繋だった野島も形を変え、今は海を望むことができない。

付近にあった案内板にある、広重の絵と明治期の写真、今日見た眺めを並べてみる。入江はすっかり市街地になったが、豊富な緑と海風景はまだまだ捨てたものでもない。