天主台跡は安土山の山頂東西南北28m四方のスペースに位置する、城廓の最高所の史跡である。跡地には天主の礎石が1.2m間隔で残り、これと天主台を構成する石垣のほかは、当時の遺構は残っていない。

本丸から入ったところは天主の地下部分にあたり、ここから5層7階・高さ33mの木造天主がそびえていた。スペースは思ったよりコンパクトで、この広さにあの絢爛豪華な建物が聳えていたことが、今一つ想像がつかないような。建物は狩野永徳の障壁画など贅を尽くした造りだったが、完成後わずか3年で焼失。その後昭和15年まで、調査も整備もされず埋もれていたそうで、ともすれば大阪城や名古屋城に匹敵する格の城廓としては、なんとも無碍な扱いに思えてならない。

周囲を囲う石垣の淵に登ると、ようやくあたりの風景が藪越しに見渡せた。北東は大同川の池越しに琵琶湖、北西は西の湖と安土の圃場越しに、こちらも琵琶湖を遠望できた。かつては城山の直下に小中之湖、伊庭内湖などが迫っており、水の都といった面持ちもあったことだろう。雨混じりながら当時の天下一の眺めを楽しめ、くたびれたがここまで足を運べて満足である。

急な登りでここまで来たということは、帰りも急な下りが待っている。足元に気をつけて、降りていきましょう。