安土城は織田信長が1576(天正4)年に、標高199メートルの安土山に築城した平山城である。天下統一のために自らの力を示すこと、天下統一後の治政を意識したことから、戦う城というより権威を示す、統治する城としての構造が見られるのが、太平期の城廓や戦国期の山城との違いである。

大手口を入った途端に目に入る、急斜面を真っ直ぐ登る大石段「大手道」が、まずは圧巻だ。ほぼ直登の石段で、石が整ってなく段差が高いため、大股で力強く登らねばならず息が切れ汗を絞られる。石段にはとこどころ、石仏がそのままはめ込まれた箇所も。神仏を信じない信長が石材にしたとされ、今もそのまま残しているが入山者に理解を求めるための案内書きと線香立てが、都度配されている。説明があっても踏んでしまいそうになるので、一歩一歩注意深く登らなければならない。

大手道の沿道には家臣の屋敷地跡が見られ、大手口のそばには前田利家邸と羽柴秀吉邸が構える。ともに織田家臣の有力武将であり、大手門近くにあてがったのは守りを固める意味だったのだろうか。どちらも急斜面にあり、二段分の敷地を占有して機能を分散するなど、狭く急な場所をうまく利用していたようである。

大手道は上に行くほど傾斜が急になり、突き当たりの徳川家康邸跡を過ぎた七曲りのあたりは、ひいこらしながら登る体たらくに。上り切ったところにベンチが設けられ、見下ろすと田園の先に東海道線が走る様子が見下ろせた。ここまでの登城の、ちょっとしたご褒美かも。