途中に案内板を見かけ立ち寄ったセミナリヨ跡は、当地にあった神学校の跡である。イエズス教の宣教師オルガンティーノが信長に進言し、安土城下に置くことを許された。当時のヨーロッパからの布教活動は、信徒を増やすことに合わせ外国に攻め込む意味合いを持っており、それを察した信長があえて目の届く城下に置いたとされる。すぐ背後には城廓のある安土山がそびえており、その意図がよく分かる立地といえる。

監視下とはいえ当時の神学校は先進的な教育機関でもあり、セミナリヨの設置は日本の近代教育の幕開けとも位置付けられている。案内によると建物は豪華な三階建てで、宣教師の部屋は2階にあり、茶室も設けられていたとか。その1日は4時半の起床に始まりミサ、ラテン語と日本語の学習、楽器の練習などもあったようだ。充実した施設ながら、本能寺の変の頃の動乱により焼失してしまい、再建されぬまま現在に至っている。

跡地は公園に整備されており、立ってみると意外に狭いが、水郷越しに小高い安土山を臨む眺めはなかなかのものだ。先進的な安土の町の文化を発展させる、人材育成の場になり得たのだろうが、今は静かに広がる田園風景に当時を想像するほかない。

では、目の前の安土山へと向かいましょう。