
大津の街はJR駅から琵琶湖畔へ下る途中、二本の大通りが市街を東西に横切っている。駅から歩いてひと筋目の東海道は、京都に入る一つ手前の宿場・大津宿が設けられていたあたりである。さらに市街の札の辻は北国街道の分岐点、琵琶湖岸の大津港は北陸方面との水運の玄関口でもあり、当時の大津は物流の拠点として賑わっていた。その賑わいは「大津百町」と表現されたほどで、旧東海道の沿道にはそうした名残をとどめた建物が、今も点在している。
東海道の本道は、現在は「京町通り」と呼ばれている。大津宿の宿場町が設けられ、2軒の本陣と脇本陣と問屋場、さらに200軒の旅籠が軒を連ねていた。駅から中央大通りを下り、京町通りへと折れるとすぐに、4軒ほどの年季ある建物が集まる一角に出る。屋号の木看板が架かる「森野すだれ店」は、琵琶湖のヨシで編んだ簾の店。宝暦年間創業の「餅兵」は「御饅頭処」の金文字看板が鮮やかだ。店頭にはいちご大福など、今風の菓子も並ぶ。赤い暖簾に黄色の格子窓の「魚忠」は、元呉服商の町屋を用いた料亭。「ぶつだんや大弘」は金綺羅の仏具が配された、店頭のケースが目を引く。
一角を行き過ぎて振り返ると、このエリアだけ違う時代の空間に見えるほど、江戸期の宿場風景が残っている。ここからもう一筋の大通り・中町通りへと折れてみましょう。