
所用のついでにハマの歴史さんぽ、横浜駅から足を延ばして、神奈川宿にやってきた。台町方面にやや登る坂道の沿道には、当時は茶屋が並び、龍馬の妻おりょうが明治初期に働いていた田中屋など、今も数軒が料亭として残っている。
かつての浮世絵では、左方向には袖ヶ浦が眺められ、茶屋には二階に桟敷席が設けられていたとか。日米修好通商条約で開港の地に指定された、交通と物流の要衝であるとともに、風光明媚な宿場町でもあったのだろう。
今はマンションが立ち並び、埋め立てで海も遠くなり、かつてを偲ぶ面影はない。坂の中腹からは開港の地となった横浜・みなとみらいの高層ビル群が、代わりにちらりと眺められる。