
山陽路の旅といえば、まずは広島で原爆ドームにお好み焼き、そこから厳島神社の宮島へ、余裕があれば帰りに大林映画の尾道を散歩して、というあたりが基本だろう。そんな定番モデルコースに最近、割って入ってきた話題の街が呉。映画「男たちの大和」で注目された、戦艦大和ゆかりの港町で、それを起爆剤に海軍ゆかりの観光資源をPR。広島から近い恵まれた立地もあり、近頃は広島と合わせて巡る観光客が増加中なのだそうである。
そんな呉の見どころを中心に、周辺を現地の方にご案内いただくことになり、桜の開花にはやや早い3月の中旬に、新幹線で一路、広島へと向かった。迎えに来ていただいた方のクルマで、呉までは30分と近い。メインの見どころである、呉の海軍ゆかりの人気施設を案内してもらうまえに、まずは昼食だ。クルマは市街の中心部へと入り、繁華街にある『むっしゅーおおはし』という店へとやってきた。
店の外観はレンガ造りで、街の洋食屋風の落ち着いたたたずまいである。案内の方によると、店の自慢のオムライスは、いま呉で売り出し中の「海軍グルメ」のひとつという。海軍グルメとは名のとおり、戦艦大和をはじめとする、軍港・呉ゆかりの料理のことで、街では海軍グルメマップを用意したり、これらを出す店の店頭にペナントを掲げたりと、呉の名物グルメとすべくPRに力を入れている。
海軍参謀長だった東郷平八郎が、イギリスで食べたビーフシチューを再現させたのが起源の肉じゃが。明治海軍の料理書に載っていた、創成期の洋食を伝えるチキンライス。呉近海でとれる小鯛を蒸した和風フランス料理のけんちん蒸しなど。料理はいずれも、当時は先進の西洋料理を取り入れていることに加え、長期の航海で体調を崩さないための健康食であることが、海軍の食文化らしい特徴だろう。
中でもオムライスは、「戦艦大和のオムライス」と称するように、大和の沖縄特攻から生還した人の証言を元に再現された、こだわりの一品だ。当時は士官向けの高級料理だったそうで、運ばれてきたオムライスは、卵を3つ使っていて見るからに大振りで贅沢。ソースは士官の好みでオーダーできたらしく、この店では定番のケチャップのほか、オリジナルのデミソースもかかっている。上に3つ載ったグリーンピースと合わせて、赤、黄、緑の鮮やかな原色が、実に食欲をそそる。


街の小さな洋食屋風の外観。紅茶は注ぐ量まで、戦艦大和で出していたのを忠実に再現している
いただきます、とスプーンをかけると、卵は中がとろけない程度に、うまく熱が加えられている。口に運ぶとやわやわの舌触りが心地よく、砂糖は使っておらず甘さはない。その分、ケチャップとデミソースが酸味爽やか。ソースと合えたごはんも控えめな味付けで、海軍グルメらしく質実剛健、シンプルな味わいなのがいい。ちなみに、グリーンピースは日本古来の縁起を担ぎ、奇数個載せるのが慣わしだそうである。
食後に出された、なみなみ注いだ紅茶もデフォルトで、まるで上級士官の気分で優雅にごちそう様。呉の海軍グルメといえば、かつては肉じゃがが代表的で、同じく肉じゃがで売り出した舞鶴との元祖論争が、当時は話題になったものだ。今は舞鶴とは「休戦中」だそうで、ほかの料理も肉じゃがの勢いに追いつけ、追い越せが目標らしい。
案内の方によると、呉は海軍グルメ以外にも、二つ折りで仕上げるのが特徴のお好み焼き、平打ち麺を使用した冷麺など、当地ならではのB級グルメも隠れた人気という。また海軍グルメの中でも、ボツとなった料理があり、例を挙げてもらうと「クラムチャウダーそうめん」。これは確かに没になりそうな、でもちょっと食べてみたいような。
店を後に、市街から港方面へやや走ると、すぐに正面に巨大な潜水艦が見えてきた。「てつのくじら館」という名のとおり、陸に打ち上げられた巨大な鯨のように見える。この館の目玉である、実物の潜水艦「あきしお」の展示で、全長75メートル、重さ2250トンの潜水艦が、陸上に鎮座している様は圧巻だ。
「海上自衛隊で実際に就航していた潜水艦を、退役後に呉の石川島播磨重工のドックで展示用に整備、それを超大型クレーンで吊り上げて陸に揚げ、巨大トレーラーに乗せて200メートルほど陸送したんです」と、館内を案内していただく方が話す。この「あきしお」の内部に実際に入って見学できるのだが、なんと入館は無料。この施設、海上自衛隊の広報活動を目的とした、自衛隊所有の施設で、案内の方も自衛隊の関係者だった。


後ろのショッピングセンターと比べると、潜水艦の大きさがよく分かる。
機雷は沈底機雷や浮遊機雷など、様々なタイプが展示されている
さっそく、潜水艦に隣接する展示館から見学のスタートだ。1階は海上自衛隊の歴史、3階が潜水艦関連となっており、興味深かったのが2階の機雷掃海についての展示である。
日本各地には第二次大戦中、およそ1万発の機雷が仕掛けられ、うち7000発ぐらいが、軍港など軍事拠点が集まる瀬戸内海に集中していた。深部に仕掛けられたものはおおよそ除去されたが、浅部を中心に今なお350発ぐらいが残り、年間5発程度のペースで除去作業が進んでいるという。
瀬戸内に仕掛けられた機雷は、B29により投下された、MK25と呼ばれる沈底機雷。磁気反応式で、船の鋼材に反応して爆発するタイプである。海上交通が込み入った瀬戸内の海底に、今も不発の機雷が残っているとは物騒極まりないが、磁気探知のための電池はもう切れているため、単に近くを通るだけでは爆発はしないらしい。
また朝鮮戦争の際、朝鮮半島沿岸に仕掛けられた機雷が、朝鮮戦争直後の頃に日本海沿岸に漂着、被害をもたらしていたという。浮遊機雷と呼ばれるこの機雷は、海底のアンカーから伸びるワイヤにつながれて海面近くに浮く仕組みで、航行する船の船底が機雷の角部に接触すると爆発する。朝鮮戦争直後の当時、このワイヤが切れて日本海沿岸に漂着した機雷に、見つけた人が誤って触れたりして、爆発事故が起こっていたそうである。
展示の一部には、掃海船「ははじま丸」の甲板を復元、音響反応式機雷の除去機や無人の掃海艇など、海上自衛隊の様々な掃海装備が展示されている。東南アジアなどで地雷の除去活動の話題をニュースで見ることがあるが、自国にも未だに同様な状況下の地域があるとは知らなかった。原爆や空襲といった戦争の悲劇的記録の伝承も大切だが、あまり表に出ないこれら未完の戦後処理にも、もうすこし目を向ける必要があるかもしれない。
3階の展示室は、本施設のメインである潜水艦関連の展示である。まずは昭和30年の、日本初の潜水艦「くろしお」の模型を見物。普通の軍艦を改造した程度の外観で、砲塔も設置されている。この頃の潜水艦は海上航行が主で、いざというときに潜る程度だったという。魚雷も今のように高性能の追尾システムなどなく、ひたすら直進するだけなので、敵に背後をとられることを想定して、艦首と艦尾の両方に魚雷発射口が設置されているのが面白い。
艦内の断面模型を眺め、ざっと設備を把握したら、いよいよこの施設の目玉である、「あきしお」の艦内の見学だ。艦は3階建てで、1階はバッテリー室、2階の前部が魚雷倉庫と発射室、3階の前部が発令所となっている。見学がしやすいように通路を広げたり、一部の設備を撤去しているが、内部はかなり狭く、この中で数ヶ月ものミッションをこなすのは、かなりのストレスだろう。海中で生活していると昼夜がわからなくなるため、艦内の明かりを昼は白、夜は暗い赤にして認識するそうで、薄暗く赤い光の下、せめてものストレス解消と、夕食は結構豪華に楽しんでいるそうである。
居住区には狭い空間に3段ベッドが整然と並んでおり、上の段との間が体を入れる厚みプラスほんのわずかしかなく、動くと周囲のパイプやバルブに頭をぶつけてしまいそうだ。乗組員唯一のプライベートスペースで、士官と下士官に設備に差がないのは、狭さゆえ仕方ないのだろう。

狭いながらも、様々な設備が機能的に納められている「あきしお」の艦内
先頭部の発令所は、いわば本艦の中枢部。最前部は機器に囲まれた操舵室で、中央には潜望鏡が設置されている。今も使えるそうで、覗いてみると呉港を往来するフェリーが間近に見えた。さらに、床部に開いた窓からは、階下の魚雷発射室が眺められる。
案内人の方によると、艦の機密に関わる点については、改修の際にかなり手を入れているという。メーター類は数値が消してあり、装甲の厚さで性能がばれないよう、本来の入口である艦橋のハッチも非公開。魚雷発射室も、真上から窓越しで見せるのが精一杯という。「一回の潜行で何日ぐらい航海できますか?」「どれぐらい深くまで潜れますか?」「魚雷は何本ぐらい積めるんですか?」などの質問も、それはちょっとご勘弁、と苦笑の連続だ。
中でもトップシークレットは、スクリューに関すること。展示されている艦の外部には、桜の花びらのような5枚羽根のスクリューが設置されているが、現在運用されている艦とは違う形状、枚数なのだという。潜水艦は敵に発見されるとアウトなので、とにかく音を出さずにスピードを出す技術が最重要機密。案内人にちょっと聞いたら、最新型のスクリューは羽根がバナナ型らしい。調子に乗って何枚羽根なんですか、の質問には「それもちょっと…」。
今回はここまで、続きの「大和ミュージアム」や、郊外の海軍がらみの見どころは、次回にて。(2009年3月26日食記)