首都高湾岸線の浮島ジャンクションから長いトンネルを抜けると、周囲は360度広がる東京湾。海ほたるを通り過ぎ、爽快な海上道路・アクアラインをひた走れば、対岸の木更津までは30分とかからない。陸地が近づくと、あたりには漁船がぽつぽつと浮かび、潮干狩りで知られる遠浅の海岸もはるかに見渡せた。湾岸線の沿道はずっと工業地帯だったのに対し、同じ東京湾の沿岸でも、ずいぶんと景観が異なるものだ。
 千葉県観光協会の招待で、木更津から南房総にかけて1泊で訪れることになった。地元の素材を生かした観光資源の視察が目的で、東京湾や房総沿岸で水揚げされる魚介も存分に味わえるのが楽しみだ。最初に訪れた木更津では、狸囃子で知られる証誠寺で住職の軽妙な説法を拝聴してから、町並みの散策へ。東京のベッドタウンとして開発が進む一方、路地を入れば木造の家屋の家並みもちらほら目に入ってくる。

 案内人によると木更津はかつて、花街として栄えた歴史があるのだという。大坂夏の陣の際に、木更津の漁師が大坂方について戦い、その功績を認められて、江戸期に房総の物資を江戸に運搬する役割を任された。この「木更津舟」により街は隆盛、彼らの娯楽として芸者衆で賑わっていたそうである。
 町中にある検番所、木更津会館は、昭和30年築という珍しい船底天井の建物で、2階の稽古場でベテランの組合長の姐さんにいろいろと話を伺った。木更津の芸者は最盛期は220人ほどおり、現在は10人ちょっとになってしまったが、30代の若手も所属していてがんばっているという。面白いことに、木更津では「花柳界観光」と称し、花街散策と芸者体験を観光資源にしているそう。昼食、お茶それぞれのプランではひとり数千円程度と、比較的手ごろな値段で芸者体験が楽しめるため、注目されているという。

 これぞまさに、地元の素材を生かした観光資源。ということで、木更津視察のメインは、料亭で芸者衆のお座敷芸や座興を楽しみながら昼食をいただく、という趣向である。会場である、検番所から歩いて5分ほどのところにある「富士屋季眺」は、木更津で屈指の歴史と格式を誇る料亭旅館で、座敷に落ちつくと窓から眺められる日本庭園が見事。上手にはちょっとした舞台が設けられていて、どうやら芸者衆の芸はそこで披露されるらしい。
 乾杯の後、まずは江戸前の魚介をふんだんに使った料理からいただくことに。ぬたはアオヤギの舌で、しっかり太くミョウガがさわやかに香る。味噌の甘さが控えめで、太いネギも瑞々しい。房総で定番の漁師料理、アジのなめろうも並んでおり、甘めの味噌で和えてあるため食が進む。
 そして木更津ならではの地元魚介といえば、なんと言ってもアサリだ。卓に並ぶ料理もアサリを使ったものが多く、本場江戸前アサリの味に期待がかかる。最初の一品、酒蒸しは、味付けは酒と塩のみとシンプルで、アサリのダシが味の決め手。貝の味は抜けず汁にエキスがたっぷり、滋味あふれる貝の味がストレートに味わえる。殻を外すのが結構忙しく、座一帯はまるで、カニを食べているように静かである。

純和風の造りの季眺。ぬた、なめろうなど、東京湾の地魚料理が自慢

 その沈黙を打ち破るかのように、いよいよ芸者衆が登場。一同アサリの殻向きの手を休めて、舞台に注目である。挨拶している4人の中には若い方もおり、先ほど検番所で説明していただいた組合長の姐さんもいらっしゃってくださった。
 
まずは、木更津舟の船頭が船を操りながら謡っていた「木更津甚句」から。歌詞には木更津舟や、「狸が木更津浜をスタコラホイ」と、証誠寺の狸囃子がらみのものもあり、三味線に合わせた「ヤッサイモッサイ」の掛け声がとてもリズミカルである。
 続いての踊り「猫じゃ猫じゃ」が始まる前に、「ちょっと準備をしますので…」と、姉さん二人がいったん退場。鳴り出したお囃子とともに現れると、三本ヒゲに耳つきと、これは猫のコスプレだ。招き猫を模したような、コミカルな動きが楽しい。
 
これは小座敷向けの芸だそうで、木更津の芸者遊びは本来、舞台で芸を見るのではなく、畳の上で客と楽しむスタイルが主流らしい。木更津舟で働くいわば「ブルーカラー向け」のため、かしこまったところがないのがいいようだ。くつろいで芸を楽しみ、料理をいただきながらビールを空けて、と、こちらもちょっとしたお大尽気分になってきた。

 

分厚いかき揚げには、アサリがごてごてといっぱい入っている。ご飯と味噌汁もアサリ尽くし

 座が盛り上がったところで、冷めないうちにアサリのかき揚げにも箸をのばす。アサリのほか、タネはネギとシイタケ、三つ葉で、ひとかじりで2、3粒はアサリが入っている豪華版。ネギと三つ葉といったしゃっきりした野菜と、もちもちのアサリがベストマッチだ。仲居さんに木更津のアサリの旬を尋ねると、4~5月との返事が返ってきた。いわゆる潮干狩りシーズンで、近くの中之島でとっているという。晩秋の今は産卵期のためちょっと身がやせており、旬のほうが身がプリプリしているのだとか。
 また江戸前といっても、生まれも育ちも東京湾の「完全天然ものの江戸前」アサリは、乱獲や湾の汚染の影響で、近頃はかなり希少になってしまった。東京湾のアサリは、現在は種苗を放流して育成したものがほとんどで、中国や韓国から輸入した種苗を、九州などで大きくしてから、春前の潮干狩りシーズン前に放流、それをその年に漁獲するのが一連の流れである。一般的には、これが「江戸前のアサリ」として流通しているのだ。
 それでもこのところ、東京湾がだんだん浄化されてきており、アサリをはじめ東京湾の天然ものの魚介は、ひところよりは少しずつ資源回復してきているらしい。また種苗放流は長い目で見れば資源の増加にもつながり、やれる方法で「江戸前のアサリ」を残していく考え方ともいえるだろう。まあ、細かいところを突っついて野暮は言いっこなし、が江戸前の粋、としておこうか?

 

見事な唄と踊りもいいが、一緒に座興を楽しむのもいい

 かき揚げを食べ進めていたら白飯がほしくなったので、お櫃を開けてみたらご飯もアサリご飯だ。一緒に炊き込んだショウガがアサリに合い、ショウガ煮風でもある。さらに、みそ汁の種もアサリで、こちらも味が抜けず身がプリプリ。アサリ尽くしとお座敷芸満載で、木更津花街のお昼の席を堪能した。
 と、まだまだお座敷芸は終わらず、お客も参加しての座興となり、ご指名を受けて舞台に上がり、扇子を投げて的を落とす「投扇興」にチャレンジだ。うまく当たれば豪華賞品とのことで、軽く投げるとくるりと回って見事、的に命中した。豪華賞品とは江戸前の浅草海苔か、それともアサリの佃煮か、と期待したところ、なんと芸者衆のキッスとのこと。それはそれでうれしいが、登壇してきたのは若い姉さんじゃなくて、組合長の姐さん…。(11月下旬食記)