
先日、息子が誕生日を迎えたので、仕事の帰りに立ち寄った書店で、プレゼントに本を買うことにした。選んだ一冊は、宮脇俊三の「最長片道切符の旅」。鉄道旅行作家である、氏の名著のひとつで、確か自分が初めてこの本を読んだのも、息子と同じぐらいの年だったような気がする。
こうした紀行文を読むことで、親の志を学び、旅を生業とする仕事について、という願いを込めた訳ではないけれど、親の仕事のジャンルに子供が興味を示してくれることは、悪い気はしない。今のところは興味といっても、旅や紀行というより、これぐらいの年齢の男の子の多くが通る、「鉄の道」に対してではあるけれど。
誕生日当日は平日だったため、改めて週末に、家族でお祝いをすることにして、出かけたのはみなとみらい21地区。ショッピングモールのクイーンズスクエアへと、足を向けてみた。「アット!」という愛称のついたゾーンのひとつ、みなとみらい駅へ直結する地下1階がレストラン街になっていて、この日の店の選択はもちろん、「主賓」に一任である。
そばに焼肉、中華にとんかつと、バラエティに富む飲食店からどの店を選ぶのか、ジャンル予算とも戦々恐々と見守ることしばし。パーティー向けの無国籍レストラン「ガーリックJO'S」方向へ向かっていったのを見て、まあそんなところかな、とホッとしたところ、主賓が立ち止まったのはその隣の店。これは、本格派インド料理レストランだ。店頭のタンドリーチキンやナン、サモサを見て、興味が湧いたらしいが、確か、バーモントカレーの中辛にも悲鳴を上げるぐらい、辛いものは苦手だったのでは?

カザーナの店頭。ちなみに左の店はガーリックJO'S、右隣は焼肉の千山閣
それでも主賓の意向とあって、この『カザーナ』を誕生日祝いの会場に決定。パーティー向けのレストランで賑やかにやるのもいいけれど、初体験のインド料理もインパクトがあり、誕生日の思い出として残るかもしれない。入口を入って右のコーナーでは、立派な髭をたくわえたインドの料理人が数名、タンドリーに向かっている。フロアでも、インドの衣装を着た女性が料理をサーブしているなど、子供たち二人は初体験のオリエンタルなレストランに、少々ビックリ気味である。
メニューを開き、主賓にオーダーを伺うと、「ナン」との返事。辛いのが苦手なカレーよりも、ナンがお目当てでこの店を選んだようで、大振りのナンにカレー数種が付く、インド料理の定番定食メニューの、「ミールス」形式のセットに興味を示している。3種のカレーにタンドリーチキン、シーカカバブ、さらにデザートつきの「デラックスセット」がいい、とのことで、オーダーを取りに来たインド人のウェイターに、子供でも食べられる辛さか尋ねたところ、笑顔で「はい。すごく辛いということはないですよ」。
どうも微妙なニュアンスの返答に加え、ナンに加えてサフランライスも付いているボリュームも心配だったので、主賓にはこれを頼み、かつ食べきれず救援を求められることも想定して、自分はセットではなく単品で頼むことにした。名前が食欲をそそるガーリックナン、そしてさっきと反対に「メニューの中で一番辛いカレーは?」と、先ほどのウェイターに尋ねて、チキンカレーミルチを勧めてもらった。ビールはもちろん、インドビールの「マハラジャ」。多彩なスパイスが効いた料理には、暑い国のローカルビールが合うこと間違いなしだ。
子供たちは、ヨーグルトドリンクのマンゴーラッシーにして、まずはおめでとう、の乾杯。カレーが出るまでの間、インド風せんべいの「パパード」をアテに、さらに娘が頼んだベジタブルサモサも分けてもらい、マハラジャをグイッ。パパードは、極薄の南部せんべいといった感じで、穀物の乾いた味に塩味のみのシンプルな味わい。インド風春巻きのサモサの中身は、ジャガイモとグリーンピースのカレー風味で、ケチャップの甘ったるい味付けが好対照である。辛口カレーのためにとっておかなければ、と気を使いつつ、マハラジャの瓶は早くも空に。
香ばしい匂いのガーリックナンとともに、オレンジ色が鮮やかなチキンカレーミルチが出されたのに合わせ、もうひとつのインドビール「キングフィッシャー」をお代わりする。家内が頼んだ、チキンとマトンとベジタブルの3色カレーセットに、娘の「プローンマライカレー」というマイルドなエビカレー、そして主賓のセットも出てきて、卓上は彩りと具が様々なカレーと、焼きたての大きなナンで隙間がないほどである。
ニンニクの香りプンプンのナンをちぎり、たっぷりのカレーと肉を少しのせてひと口。最初はマイルドだが、すぐに全身からバッ、と汗が噴出すほどの刺激が、じわじわと広がってくる。これはえらく辛い! 一撃必殺の、鋭利な辛さである。それが、ふた口、三口と進めていくと、痛い辛さの中にも、薫り高いもの、奥行きがあるもの、しびれるもの、さらにチキンの下味の辛味など、いろいろな種類が混じっているのが分かってくる。
インドのカレーといえば、スパイスを複雑に調合した、立体的で深みのある辛味が特徴的で、この店も20種類ものスパイスをブレンドして、本場ならではの味と香りを組み立てている。だから、単なる「激辛」にも、色々な辛味の要素が含まれている、という訳だ。さらに店の能書きによると、「スパイスは漢方薬と同じ役割を持ち、美容と健康の源」とも。代謝がよくなり発汗する一方、アルコールの量も進んでしまうのが玉にキズかも。


(左)インドビールのマハラジャとパパード (右)激辛のチキンカレーミルチ
追加のキングフィッシャーで、舌を休める横では、主賓がナンとサフランライスで、3種のカレーを食べ進めている。それぞれ味見をさせてもらうと、確かにウェイターの言葉通り、ものすごく辛いということはないようである。チキンカレーと、ジャガイモにニンジン入りのオーソドックスな野菜カレー。そしてマトンの挽肉カレーは、マトンの独特のくせがあるのに、気にせず食べているのは大したものだ。
もっとも、タンドリーチキンとシーカカバブは、スパイスが相当効いており、予想通り自分が救援、ビールのつまみの仲間入りとなった。タンドリーチキンは、香辛料とヨーグルトに漬けたチキンを、「タンドリー」というインド式オーブンであぶった料理で、ターメリックで鮮やかな紅色の外側がパリパリ、肉は余分な脂が落ちてサクサク。表面に染みた多彩なスパイスが、それぞれ同じ強さで主張してくる感じである。また、子羊の挽肉の串焼きのシーカカバブは、漢方風の薬効がありそうな香りが独特。激辛チキンカレーとともに、スパイスによる香りの組み立てが、それぞれ異なるのが面白い。
するとサフランライスを眺めながら、「これってインディカ米でしょ?」と、どこで習ったのか質問してきた。親に似て食への好奇心旺盛なのは結構なことで、「…気になるなら、店の人に聞いてみれば?」と、誕生日を機に、ちょいと後継者育成の指導をしてみることに?
1993年頃の日本米が品薄になったとき、タイ米が注目されることで、「インディカ米」という言葉を耳にした人も、多いのではないだろうか。米は一般的に、日本で栽培されている「ジャポニカ米」と、インドやタイなど東南アジアで広く栽培されている、「インディカ米」に分類される。前者が、粒が楕円形でモチモチと粘りがあるのに対し、インディカ米は粒が細長く、水分が少なめでパサパサなのが特徴。そのため、カレーやチャーハンに向いており、エスニック料理の店ではこちらが使われていることが多い。ちなみに世界的に見た場合、主流はインディカ米で、ジャポニカ米は少数派なのだとか。
がんばって声をかけてみた主賓に、店のお姉さんは親切に教えてくれたが、残念ながらサフランライスの米は、普通の日本米とのこと。ただし、インディカ米は普通のライスには使っているそうで、「サフランライスは、サフランの香りがよく染みる日本米を使っているんです。インディカ米は、そのまま食べるほうが、米独特の香りがよく分かりますからね」。でも、インディカ米を知っているなんて、すごいね、と、お姉さんにほめられた主賓、まんざらでもない様子である。
こんなやりとりがいい思い出となり、さらには食への興味も湧いてくれば、と期待してしまうけれど、店を後にして帰りの車では、誕生日のプレゼントにこの日買ってもらった、新幹線の車内アナウンスが鳴る目覚まし時計を、うれしそうに眺めている。とりあえず今は、興味ある「鉄」をきっかけに、さらに興味を持てるテーマが見つかれば、それでいいかも。インド料理の店で誕生日祝いをしたのも、何かの縁だし、プレゼントの「最長片道切符の旅」を読破したようなら、次は同著者の「インド鉄道紀行」を買い与えてみるか。(2008年7月13日食記)