和の鉄人・道場六三郎氏の懐石料理の店『懐食みちば』にて催された、山中温泉の観光懇談会は、料理が進み宴もいよいよ佳境を迎えてきた。これまで供された料理はいずれも、素材の持ち味が素直に楽しめる品々ばかりで、氏の料理観がはっきりと提示されているのが、実に潔い。
 懐石でメインディッシュにあたる「強肴」、そしてご飯もの、デザートと、残るはあと数品。ちょっと名残惜しいが、自身が生まれ育った山中温泉を元気づける会、ということで道場氏も全力投球と気合が入っている。こちらも全身全霊で、一品一品を最後まで受けとめるとしよう。
 ここで締めのご飯ものの選択を、あらかじめフロアの方が伺いにやってきた。2種から選べるとのことで、帆立の貝柱の旨みあふれる「もろこし帆立炊き込みご飯」も魅力的だし、ワタを抜いたサバを米糠に漬け込んだ、北陸名産へしこの茶漬け「糠鯖茶漬け」も、締めにはもってこい。これは苦渋の選択だ。
 
ダメモトで両方とも頼んでみようか、と思った矢先、「…どっちも食べたいんですけど?」と、隣席の男性と意見が重なった。お気持ちは分かりますが、どちらかでお願いします、とフロアの方が苦笑、こちらも隣と顔を見合わせ、思わず苦笑い。

 結局糠鯖茶漬けを選択、ご飯が決まったところで、強肴の前にあっさりと軽いものが2品続く。まずは煮物。鮎素麺に加賀ナスとオクラを添えた、梅雨時には涼感あふれる一品だ。ゆるゆるとうねる素麺の上で、アユがまるで泳いでいるようにも見える。
 「アユは山中温泉を流れる大聖寺川の鮎を使いたかったのですが、あいにく数が揃わず、和歌山県の紀ノ川のアユです。いしるで炊いてあり、加賀ナスもちょうどいい炊き加減ですよ」
 地元産のアユでなくあいにく、と道場氏はおっしゃるが、なかなかどうして。紀ノ川といえば、日本屈指の良質の天然アユの産地として知られている。高圧で炊いてあるので、頭も骨も柔らかく丸ごといけますよ、との説明に従い、小振りのを頭からひと口。ホロリ、とほぐれた後から、アユの凝縮した甘みが、じわりじわりと染み出てくる。確かに炊き加減がちょうど良く、味が抜けないベストのタイミング。身の旨さももちろん、アユの真価はワタにあり、というように、ギリギリほど良い苦味が見事、というほかない。

アユがそうめんの上を泳いでいるようにも見える。汁を吸った加賀ナスもうまい

 そして、汁をしっかり吸った加賀ナスの、ツルツルシャブシャブとうまいこと。味の秘訣は、道場氏の説明にもあった、いしるである。いしるとは、魚介と塩を材料にして発酵させた調味料で、俗に「魚醤」と呼ばれるもの。秋田ではハタハタ、香川ではイカナゴなど、地方によって使う魚介は様々で、能登では主にイカの内臓を使っている。味のほうは魚独特のくせがあるけれど、これを煮物にちょっと加えると、素材の風味とコクがよりよく出るから不思議。伝統野菜の加賀ナスに、能登の伝統の調味料であるいしるの、異なる地域の食材と調味料が絶妙なマッチングとなっている。

 強肴の前の軽めの小鉢が出てくる前に、再び道場氏がフロアへと戻ってきたと思ったら、各テーブルを回りながら作業をしている。自分の卓へとつくと、ガリガリと懸命に何かをおろしがねで下ろしはじめた。その手にはオレンジ色の塊が。下ろした先の器には、ベーキングパウダーのような、粒子の細かいサラサラした白い粉が見える。
 「これはアンデスの岩塩。これから出す能登豆腐を、この塩で食べてみてください」
 見るからに聞くからに由縁ありげな塩に、豆腐も大豆とにがりともに能登産の素材を使った、地場産の本格的な豆腐。しっかりと締まり堅目のところが、田舎豆腐風である。
 豆腐の角に、器の塩をちょん、とつけてひと口。すると能登の大豆のほんのりした甘みが、ストレートにしょっぱいアンデスの岩塩でのおかげで、ふくらみのある優しい味になる。異なる地域食材と調味料の出会いが、国境をも越えた瞬間だ。強烈な個性の岩塩をつけずに、そのまま食べても大豆の味がしっかり楽しめ、これはこれでうまい。

アンデスの岩塩をテーブルごとにおろす道場氏


 品書きを読み返して数えてみたところ、前菜からここまで続いた料理の数は7品。かなりあれこれたくさん頂いた印象だが、お腹のほうはまだ、強肴の「能登牛の炙り焼き」を普通に平らげられるほどの塩梅である。
 皿が熱いので気をつけてください、とフロアの方が忠告するように、切り分けられた能登牛のステーキ肉は、皿の上の熱々に焼けた石の上にのせられている。早く食べないとせっかくミディアムの焼き加減が、どんどんウェルダンになってしまいそうだが、焼け石の熱は肉に過度に加わり過ぎない上、食べ終わるまで保温力がある優れもの。ステーキをベストのコンディションで最後まで頂くには、もってこいの加熱装置というわけだ。

 ステーキの薬味は2種類あり、おろしダイコンにワサビを混ぜたものと、豆腐ようを使ったソースが珍しい。まだ中心部にほんのり赤みの残った肉をひと切れ、まずはおろしダイコンの方をのせて、口へ。すると口の中で肉がとろけるよう、そしてかみしめなくても肉汁があふれ出るほどにジューシー。能登牛は脂身が少なくきめ細かい肉質が特徴で、主張の控え目なおろしダイコンのおかげか、その実力が舌に素直にたたきつけられたようである。
 もうひとつの薬味は、沖縄の島豆腐を米麹や泡盛と発酵させた珍味・豆腐ようをベースにしたソースで、例えればウニのようなコクとほのかな酸味がある。こちらは強い個性が、能登牛の旨みをグイグイ引っ張っている、といった感じである。素材の持ち味をそのまま楽しむダイコンおろしのと対照的で、こちらでは味付けの妙で持ち味をさらに膨らませて楽しむ、という食べ比べがご趣向なのかも知れない。
 ひと切れずつ変えながら頂いていると食がどんどん進み、満腹で食べきれないからどうぞ、と、同卓の女性が譲ってくれた分にも箸をのばす。途端、さっきご飯ものを2種頼もうとした隣席の男性からも、箸がのびてきた。

 サバのへしこの切り身がいっぱい入った糠鯖茶漬けは、お茶の熱で糠漬けの旨みが活性化され、さっぱりした中に時折漂う魅惑的な臭みが、左党にはたまらない。向かいの女性二人は、茶漬けと炊き込みご飯をそれぞれで頼み、半分ずつ分けている。その手があったか、と件の隣の男性に持ちかけようとしたところ、あいにく先方も茶漬け。締めに茶漬けを頼んでしまうのは、おたがい酒飲みの性なんだろうか。
 デザートに加賀西瓜ゼリーの糸瓜のせを頂いているバックでは、10年にひとりの山中節グランドチャンピオンによる、艶のある声の正調・山中節が披露されはじめた。唄が終わったところで、観光協会長が「先生、先生!」と厨房へ声をかけ、ややしてから道場氏が登場。宴たけなわとなり、ここでご挨拶と中締めか、と思いきや、何とご自身自らも山中節をご披露下さるという。

山中節で美声を披露する道場氏

 唄う前には「おーい、酒!」と、コップ酒をグイッと一気飲みして景気づけ、それではまだ足りない、とさらにもう一杯。勢いづいたところで、グランドチャンピオンに続き和の鉄人の名調子に、一同じっくりと聞き入った。唄い終わった途端、三味線の姉さんに向かって、昔この娘に惚れとったが手ぇ届かんかったなあ、と酒の勢いで舌も滑らかになったよう。飲んで唄って、酔客と冗談交わして。客と一緒に盛り上がる、飲み屋によくいる気さくな店の親父、といった感じの鉄人の姿が、また何ともいえずいい。美食の宴の最後を飾ったのは、山中温泉を愛してやまない道場氏の一芸披露、というのも、本会の趣旨にふさわしいような気もする。

 今更ではあるが、料理とはすなわち、素材の味を引き出す手助けをするものであり、素材を過度に飾り立てるべきものではない。加賀・能登の豊かな山海の自然が育んだ、多種多彩な食材の数々。その底力に技巧を加えすぎることなく、あるがままに供することが、この地で培われた道場氏の根本にある料理観であり、今日はその世界に存分に浸ることができたように思える。
 加えてこれまで「テレビに出ている有名人」という印象だった道場氏に対して、一料理人としての真摯な姿勢を、手に取るように感じられたのも印象深い。テレビに出まくり、名前を各所で売りまくる「有名」料理人に対しては、これまでは斜に構えていたけれど、これからはまず食べてみてからかな、という気にもなってきた。

 で、3度に分けて綴った「懐食みちば」の料理、結果は星、3つです… って、それはまた違う食番組だったか? (2007710日食記)