

ちょっと古ぼけた感じの店、町並みに埋もれるようなちっぽけな店が、実は穴場的にうまい、という、食べ物屋にまつわる迷信がある。そりゃ、何十軒となくその手の店ばかり訪れれば、いくつかは当たりの店もあるだろうし、外観に対する意外性からしても、伝説となることも分からなくはない。とはいえそんな店のほとんどはやはり、活気がなく寂れた場末の店ばかり。実際、自分も何度か冒険をしたことはあるけれど、結果的に痛い目に合うことがほとんどだった。ダマされたつもりで入ってみたら、やっぱりダマされた、というオチばかりだ。
八丁堀の事務所で仕事をしていた頃に、そんな冒険心をかきたてられるたたずまいの店があった。『長崎菜館』という中華料理屋風の店で、意外にも昼時にはいつも結構な行列ができていた。ランチタイムを過ぎても15時ぐらいまで店を開けていたので、遅い昼食をとろうと店探しをするときには、店頭を通りつつ気になっていた。なかなか入る機会、というか度胸がなかったけれど、たまたまガラガラだったことがあり、とある日に思い切って入ってみた。
間口が狭い入り口をくぐると、中はウナギの寝床のように奥行きがある。細長い店内には4人がけのテーブルが4つ並ぶほか、ほんの小さなカウンターが3席のみ。確かにこれでは、昼時は店からあふれるほど満席必至である。壁に貼られた手書きのメニューによると、チャーハンや麻婆豆腐といった中華の一品料理が並ぶ中、店名らしくちゃんぽんがある。お昼時の人気メニューのようで、単品のほかに小丼を組み合わせたセットも用意されているのがうれしい。
かなり遅めの昼食となったため、底抜けの空腹を埋めるべく、ちゃんぽんはセットで、さらに単品で麻婆豆腐と餃子も… と続けようとしたところで、店の人の制止にあうことに。「大丈夫ですか? 単品のちゃんぽんだけでも、すごい量ですよ」。
今日の腹具合なら結構食えそうだが、初めて入る店なのでとりあえず様子見とし、サイドメニューはちゃんぽんのセットを頂いてから検討することにした。しばらくして運ばれてきたちゃんぽんを見て、店の人の忠告に心から感謝。丼の大きさに麺とスープの量は、普通の麺料理と大差ないが、その上にうず高く、山のように積み上げられた具の量ときたら。真横から見ると、丼の上にまるでかき氷のような、見事な三角形が描かれている。具だけでも、下手すると単品の野菜炒めよりも量があるほどで、底抜けの空腹も一瞬、怖気づいてしまうほどの度迫力だ。
ちゃんぽんは初めて長崎に旅行した際、本場で食べてみたことがある。といっても、本場は本場でも本場の「リンガーハット」だったけど(笑)。ちゃんぽんはそもそも、お金のない中国からの留学生のために振舞った麺料理がルーツといわれ、地元長崎で手軽に入手できる野菜や魚介、海産加工品をいっぱい具に使い、安価かつたっぷりの量がウリ。リンガーハットで食べた時は学生時代の貧乏旅行だったため、チェーンながらもそのボリュームに救われたことを覚えている。後に再訪した時に、新地中華街の名店「江山楼」でも頂いた。この「特上ちゃんぽん」は何と、具の種類が20種。フカヒレやナマコまで入った豪華版で、満腹で苦しみつつもがんばって平らげたものだ。
この店のちゃんぽんも、具はたっぷりのキャベツにモヤシ、キクラゲ、さらにイカ、タコ、豚肉、ピンク色のかまぼこ、薩摩揚げ風のすりみの天ぷらなどなど。加えて麺は長崎直送、本場ならではの極太ちゃんぽん麺だから、仕事が忙しいときにしっかり食べておきたい際には、比類のない食べ応えだろう。いざ、とりかかってみると、具はほとんどが野菜のため、見た目の割には意外にグイグイと食べられる。加えてたんぱく質は魚介類が中心と、多忙で食生活が乱れているときには栄養のバランスが良くて好都合。パワフル&ヘルシーな、働く人の昼ごはんである。

店頭に並ぶメニュー各種。実際はこの1.2~1.5倍ぐらい量があるものも
6月に事務所が移転することになり、最後にあのちゃんぽんを食べておこう、と惜別の思いで店を訪れたこの日は、梅雨の谷間の蒸し暑さ。大盛りちゃんぽんを頂くと、午後の仕事中にしばらく汗がひかなそうなので、もうひとつの看板メニューである「皿うどん」を、惜別メニューとすることにした。皿うどんもちゃんぽんと同様、長崎の名物料理で、「うどん」といっても麺は固やきそば風のバリバリの揚げ麺。いわば中華風あんかけ焼きそばの、長崎版といったところだろうか。ちゃんぽんも、中国・福建省の「湯肉糸麺」という料理が基ともいわれており、かつて鎖国の時期に唯一、外国に開かれていた土地ならではの、外国の食文化と地元・長崎の食材が折衷した料理といえるかも。
ちゃんぽんの迫力もすごいけれど、この皿うどんも負けていない。具はちゃんぽんと、種類も量もほぼ同じ。固やきそばの上には、キャベツやもやしなどの裾野が広い山が築かれている。たっぷりの酢をかけ、皿のふちに盛った辛子を時々つけながら、固い揚げ麺と具の山を、箸で豪快につかんでバクッ。麺は最初はバリバリと歯ごたえが楽しめ、トロリとした具のあんが行き渡るに連れて、だんだんしっとりと食感が変わっていくのが楽しい。
いつも昼時を大きく外してやってきて、他に客の姿のない店内でテレビのワイドショーを見たり、朝買ったスポーツ紙を眺めたりしつつ、山盛りの具とのんびり格闘するのが、自分流のこの店の楽しみ方だった。普段はひとり飯ばかりだけれど、皿うどんを半分ほど平らげた頃に、これまた遅い昼食をとりに仕事の同僚がたまたまやってきた。彼はちゃんぽんを頼んだようで、二人して名残惜しみつつ、山を平らげていく。
月に3、4回は訪れていたこの店、別に店の人と顔見知りという訳ではないが、支払いの際に「事務所が移転するので、今日が最後です」と、思わずお別れの挨拶(?)をご主人と交わした。すると、
「近くに来たときは、またぜひ寄って下さい。サービスするから、声かけてくださいね」。
移転先の事務所は銀座一丁目、歩いて10分ちょっとだから、たまには遠征してみてもいいかも。「サービス」の分も食べこなせるほど、底抜けの空腹となった時には、ぜひ。(2007年6月9日食記)