

普段、仕事をしている八丁堀の仕事場が、このたび移転。銀座の果てのさらに外れから銀座一丁目へと、花の銀座のど真ん中へ仕事の拠点が変わることになった。そこは東京一、いや日本一の食の町。「町で見つけたオモシロごはん」も、今後は銀座情報を満載でいこう、といきたいところだが、なにぶん薄給の身の上。毎日毎日、銀座界隈で好き勝手にランチをエンジョイしていたら、ものの半月ほどで毎月のささやかな遊興費は尽きてしまう。
そもそも八丁堀にいた頃も、お昼は弁当持参がほとんどだった。金銭的事情もあるが、この界隈はただでさえ飲食店が少ないうえ、多忙でランチの時間帯をうっかり過ぎてしまうと、ほとんどの店が夜の営業までの間の休憩時間に入ってしまう。弁当持参でない日には、いわゆる「昼食難民」になることも、珍しくなかった。
仕事場が移ってしまうと、おそらくこの界隈に来ることはほとんどなくなってしまうだろう。そう思うと食事情が悪かった町ながらも、お世話になった店には最後に顔を出しておきたいのが人情だ。よく行った記憶のある店を挙げてみると、立ち食いそばの「小諸そば」に、喜多方ラーメンチェーンの「小法師」、同じくラーメンチェーンの「むつみ屋」、ドトールのミラノサンドなどなど。何だか、惜別の気持ちであえて訪れるほどの店が、ほとんどない。
結局、ここはぜひ最後に行っておこう、という店は、3軒。考えてみればどこも、14時を過ぎてもやっている店だ。という訳で、引越前の3日間はさよなら八丁堀・外食デーとして、弁当もたずで仕事に向かったのだった。まあ、荷物の運び出しで埃が舞いまくっている事務所で、弁当を広げるのも何だし。
初日に訪れたのは、事務所の向かいにあるトンカツ屋『かつ繁』。ここはかつてお世話になった編集長の元で働いていた、10年前からよく訪れた店である。まだ駆け出しの頃、仕事に手間取ってお昼の時間を外してしまうことがよくあり、そんな際にひとりでぶらりと食べに来たものだ。
店はどこかうらぶれた感じのビルの地下にあり、13時半を過ぎるといつも、昼の営業の店じまいを一部始めているため、客の姿も店に行く頃にはほとんどない。遅い昼食なのか、外回りの合間なのか、スーツを着た客がパラパラと着席している程度で、中には平日の昼間なのに、ビールを傾けている客も。久しぶりに訪れたが、この場末の午後らしい気だるい雰囲気は変わっていないようだ。
ここのトンカツは、薄めの肉にサクサク感のある衣を軽くつけてカラッと揚げており、良質のラードの香りがいかにも、トンカツ専門店らしい味わい。定食はロース、ヒレほか各種フライなど数種揃っており、夜は割といい値段なのだが、昼時にはロースの定食がお得な値段でいただけるのがありがたい。
昔はこの定食をいつも注文していたけれど、ここ最近はカツカレーが定番。カレーショップのカツカレーは、ルーのほうが主役だから、カツの衣はルーがかかってべっしょりになっていることがある。一方、トンカツ屋のカツカレーの主役はもちろん、カツ。ここのカツカレーは、ルーの上に揚げたてのカツをのっけているため、衣のサックリ感、ラードの香ばしさが楽しめるのがうれしい。
銀座には井泉、とん喜などの名店がいくつもあるから、トンカツを食べたくなっても、八丁堀まで足を伸ばしてこの店に食べに来ることは、おそらくもうないだろう。広い店内の最奥の席でひとり、10年来のなじみのカツをかじっていると、駆け出し当時に仕事を要領よくこなせずに追われていた時の、ちょっと苦い思い出がよみがえってきた。(2007年6月6日食記)