瀬戸内から宇和海、太平洋と、漁港の町を巡ったこの夏は、「酷暑」と表現できるほど厳しい暑さだった。9月の終わりに近づき、幾分気候が落ち着いてくると、今度は日本海の魚介がおいしくなる時期だ。秋から冬にかけては、日本有数のブランド魚介である松葉ガニやブリが注目の的となる一方で、近海の底引き網漁も最盛期を迎える。「魚どころ」日本海の、高級魚から大衆魚まで、おいしい地魚がそろうシーズンの到来である。そんな訳で、2006年秋の食紀行に選んだのは、鳥取の2大漁港ともいえる賀露漁港と境港漁港。解禁されたばかりの底引き網の地魚にターゲットを絞り漁港を歩いてお魚を頂いて、といきたい。さらに「宍道湖七珍」と称される宍道湖の湖魚も注目、そして新そばのシーズンを迎えた出雲そばも見逃せない、ということで、松江や出雲にも足を伸ばすことに。例によって3泊4日の旅程にしては食べたいもの盛りだくさん、うまいもんてんこもりの旅となりそうだ。

 夕方に銀座での仕事を終えて羽田空港に直行、最終便に飛び乗って1時間半ほどで鳥取空港に着陸した。鳥取駅前にあるホテルにチェックインした頃には21時をまわっており、こんな時間だけどやはり、地魚を肴に地酒で一杯、で旅の口火を切りたいものだ。ホテルのフロントに教えてもらい、繁華街の末広通りへと足を向けたところ、沿道には居酒屋やバー、小料理屋などの明かりがいたるところに灯っている。さすがは鳥取随一の繁華街、とまずはひと安心。その一角に見かけた『居酒屋ぐらっちぇ』を、このたびの旅の記念すべき1軒目とし、めでたく暖簾をくぐった。3、4人程度のカウンターと小上がりだけの小さな店で、若い兄さんが板場を、お姉さんが接客を担当している。金曜のこの時間なのに客は自分だけと少々さびしいが、カウンターに腰掛けると手持ち無沙汰だったのか気を遣ってか、あれやこれやと話しかけてくる。高知生まれという兄さんは、東京にはいい料理屋が集まっているね、秋葉原やTDLとか行ってみたいな、など、ずいぶん東京への憧れが強い様子が、何だか素朴で面白い。

 ホテルでもらったグルメガイドによると、この店は山陰の旬の食材を使った板前料理に素朴な家庭料理、酒の肴向けの一品料理と、幅広いジャンルの料理が自慢、とある。山陰の旬の食材の中でも、気になるのはやはり、魚料理。まずはビールと、突き出しをつつきながら、兄さんから旬の魚や鳥取の漁業について、食べ歩きの旅の始めに情報収集である。今は9月に入り底引き網漁が始まったばかりで、主要漁獲であるベニズワイガニがちょうど走り、という。「ズワイガニ」と名がつくが、山陰の冬の味覚の王様である「松葉ガニ」とは別の種類の、やや値段が安いお手ごろなカニ。本家・松葉ガニのほうは漁期が11月からなので、まだ地物は出回っていないという。ちなみに鳥取近海での漁は、夏の岩ガキと冬の松葉ガニが漁獲の中心で、「底引網→岩ガキ→底引網→松葉ガニ漁→底引網… の繰り返しだね」と兄さん。

 そこで解禁したばかりの底引き網でとれる魚種を尋ねると、「9~12月だとベニズワイガニ、スルメイカ、イワシ、サバ、白ハタ、ブリ、ツブ、ヒラメ、赤ガレイ、モサエビ…」ときりがない。エビはモサエビをはじめ、色々な種類がごっちゃにとれるという。味がいいのは鬼エビで、名の通りとげが多く軍手でつかんでも痛いほどとか。イカは白イカ(マイカ)をはじめ、スルメイカ、さらに安いシマメイカなど、こちらも種類が豊富だ。お兄さんのお勧めは、値段の安いシマメイカ。身はやや黄色がかっていて、刺身よりも塩辛に向いているそうで、たっぷりのワタに塩を振って後から身をあえると最高、とのこと。今が旬の白ハタも、脂がのった白身がうまい、と、これからの旅に期待が持てそうだ。底引き網漁の漁場はやや遠い沖合で、漁獲される魚介は、郊外の賀露漁港に水揚げされる。鳥取では沖泊して魚倉が一杯になるまで漁をするため、漁期が長いという。

 そして日本海の冬の味覚の代表格・松葉ガニも、同様に底引き網漁の漁獲だ。60~95トンの底引き網船を使って、隠岐周辺を中心とした海域の水深200~500メートルで操業する。漁期は11月1日~3月20日のため、今回の旅ではあいにく間に合わなかったが、上物で1杯で2~3万円と、旬の時期だったとしても果たして予算があったかどうか。「確かに松葉ガニは高いけど、料理屋にしてみりゃゆでるか湯通しして花を咲かせ、ドンと出しておけばいいから、ある意味楽」とお兄さん。とはいえ松葉ガニをゆでるのはかなり難しく、カニの扱いを熟知した熟練の技を要するという。特に生きたカニは危機を察知すると、足を自分で落とす「自切」をする習性があるため、生きたままいきなり湯に入れると、足がバラバラになってしまう。そこで活けのカニをゆでる前には、真水に入れて締めるのが常識なのだとか。そんなキング・オブ高級魚介の松葉ガニも、昔は今よりも値段がずっと安かった、とお姉さんも話に加わる。地元の年配の人にしてみれば、おやつがわり、こたつのみかん程度の感覚だったそうで、みかんの皮をむくようにカニの殻を割ってしゃぶって、というのも何だかすごい。

 さすがに今では、地元でも松葉ガニは贈答用にされることが多く、普段使いで食べるのはベニズワイガニや水ガ二といった、「値札にゼロがひとつ少ないカニ」という。中でもここ数年、地元で知名度がアップしているのが水ガニ。松葉ガニほど生育していない、まだ若いカニのことを指す。名前からして少々水っぽい食感をイメージする人もいるだろうが、松葉ガニにない瑞々しさと甘みが、好評を博しているという。名前から受ける印象を考慮してか、県漁連が新たにつけた呼称は「若松葉ガニ」。新鮮さと瑞々しさが感じられるのに加え、一応「松葉ガニ」を食べている気分にもなれるか。「味は松葉ガニより大きく劣ることはなく、むしろ甘みはこちらが上。何たって松葉ガニ1枚分の予算で、若松葉なら4~5枚買えるからお得」と、店の人もイチオシだ。ほか、「若」がつかない松葉ガニにも、お手ごろ値段の目玉商品があるという。それは、足が取れてしまった松葉ガニ。見た目が悪いため料理屋や旅館などに敬遠されることに加え、そこから胴に海水が入り味噌が溶け出してしまうため、値段が半値以下に下がってしまう。とはいえ、足の身の味は松葉ガニそのものだから、「お客に出すときは足をばらして、本数を合わしちゃえば分からないし」とお姉さんは笑う。この足とれのカニ、地元では「ヤッチャンガニ」と、何とも危険? な俗称もあるとかないとか。

 と、突き出しでビールを飲みながら魚の話がどんどん盛り上がり、つい料理を注文するペースが遅くなってしまった。ご講義いただいた底引き網の魚介を中心に、つくりをおまかせにしたところ、白イカ、白ハタ、カンパチ、アジ、サーモンの5点盛りが出てきた。白ハタとはハタハタのことで、日本海沿岸では鳥取の賀露漁港が、屈指の水揚げ量を誇るという。ハタハタの本場である、秋田で水揚げされるものよりも脂がのっていると評判が高く、漁獲量が多いこともあり秋田へ回しているほどとか。旬なだけの脂がよくのっていて、軽くあぶった皮目の部分が実に香ばしい。コリコリと歯ごたえがいいイカにも気をよくして、ゲソ焼きも追加で注文。こちらは熱を加えてあるので旨味が倍増、歯ごたえシコシコ、プリプリと心地よい。カンパチとアジ、サーモンのトロリとした脂にビールが進み、お次は地酒の「日置桜」をおかわり。市内の青谷町に蔵元があり、やや甘いがきつさがなく、素直にスイスイと入っていく。

 日置桜と一緒に頼んだ、大振りのラッキョウが入った小鉢にも箸が進み、程よい酸味が酒の味を深めてくれる。鳥取砂丘の周辺で栽培しているもので、その名も「砂丘ラッキョウ」。「鳥取の名物といえばやっぱり、砂丘。ラクダにのったり遊覧馬車で散策するのもいいし、ラッキョウとか梨とか特産品もあれこれあるしね」。砂丘ラッキョウ以外にも、因州和紙で地鶏卵を包み、砂丘の砂に埋めて250度の高温で加熱した「砂玉子」、さらに砂丘ラッキョウを材料にしたドレッシング「ラッシング」なんてのもあり、評判を聞いたら「う~ん…」。砂丘にまつわる酒はないの、と聞いてみたところ、ラッシングよりはおすすめです、と砂丘名物の長芋からつくった「砂丘長芋焼酎」が出てきた。ストレートでやるとグラッとするほど強烈、追っかけで水を飲みながらでないと、旅の初日からノックアウトされてしまいうだ。ラッキョウをかじり、焼酎をグッとやってグラッ、すると一瞬、競りあがる砂の丘とその向こうに広がる荒波の日本海が、パッと脳裏によぎったような気がした。(2006年9月22日食記)