東海道は、江戸時代に整備された主要五街道の中でも、江戸と京を結ぶ最も主要な街道であった。しかし現在は、宿場町の町並みや石畳の道、杉並木といった、当時の面影が残る箇所は少なく、むしろ木曽路を行く中山道の方が、妻篭宿や馬篭宿などの町並みを中心に、かつてのたたずまいが各所に残っている。そんな中、静岡県内には東海道にまつわる史跡がいくつか点在していて、十返舎一九作の「東海道中膝栗毛」で描かれたシーンが、そのまま残っているところもあるという。その面影をたどってみようと、歴史に関心のある職場の上司に誘われて、小春日和の中を年の差ン十歳の「今風東海道弥次喜多道中」となったのである。

 現代の東海道ともいえる東名高速道路を利用して、まずはクルマで静岡インターへ。そこから静岡の市街地を抜けて、かつての東海道をたどる国道1号線へと出た。そして当時「暴れ川」だった安倍川を渡ってしばらく走ったところで、国道は大きく右へカーブ、細い道が古びた民家が密集する集落へ向かって直進する分岐点に差し掛かった。この細い道が旧東海道で、後から作られた国道は、集落を通らずに遠回りをしている。そして、この旧東海道沿いに続く集落が、東海道21番目の宿場である丸子(まりこ)宿である。かつて江戸へ向かう旅人が、先ほどクルマで渡った安倍川が増水して川止め(通行止め)になった際に、この宿場で立ち往生せざるを得ず、川の水量の様子次第では、旅人が長期に渡って滞在したために賑わいを見せていたという。

 クルマを停めて、古い町並みを縫うように延びる、細く曲がりくねった旧東海道を歩いてみると、沿道には今もなお、格子戸のある古い家が数軒残っている。これらの中には昔、旅篭だった建物もあり、前に立って当時の賑わいを想像してみる。そして町並みの外れまで歩いていったところで、丸子橋のたもとに建つ茅葺き屋根の一軒家が見えてきた。ここが、「東海道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんも立ち寄ったと書かれている、食事処の「丁子屋」。安藤広重の「東海道五十三次」の画題にもなった店で、創業400年の歴史を持つ、とろろめしの老舗だ。

 ハンドルを握る弥次さんこと上司も、ここで昼飯にすることに異存なし、とのことで、喜多さん役の私も一緒に茅葺きの建物の入口をくぐる。入ってすぐのところには、「芭蕉の間」と名付けられた、囲炉裏が切ってあるこぢんまりした座敷があった。おそらく創業当初は、これだけの広さだったのだろう。しかし、今はこの建物の裏側に、何と2000人収容の立派な別館が造られていて、休日のお昼時に訪れる大勢の客を、どんどんさばいているようだ。せっかくだから本家弥次喜多と同様に、この茅葺きの建物でとろろめしを頂きたいところだが、あいにく狭い座敷はすでに先客でふさがっており、素朴な店構えからはとても想像できない、大広間をいくつも備えた奥の別館へと向かった。

 品書きにいくつかあった、トロロや山芋を使った料理を組み合わせた定食の中から、店の人が「いちばん人気があってお勧めです」という「丸子」を頼むことにした。とろろめしに、山芋の肉芽である「むかご」を塩でゆでたもの、味噌汁、香の物つき。すり鉢にはいったトロロを柄杓ですくって、まずはご飯にかけずにひと口味見してみると、香ばしい刺激が鼻にツンツン、口の中はピリッとしびれるようだ。運んできてくれた店の人の説明に従って、お櫃に入れて出された麦入りのご飯を茶碗に少な目によそって、トロロはたっぷりとかけてお茶漬けのようにして、ざくざくとかき込む。トロロは栄養価が高いため疲労回復に効果があり、食べるにつれて腹の底からドン、と力が貯えられていくようだ。丸子宿から西に向かうと宇津谷峠越え、東へ向かうと安倍川越えを控えた当時の旅人にとって、とろろめしは理にかなった栄養補給だったのだろう。ちなみにトロロにも旬があり、2月がいちばんおいしいらしい。

 とろろめしのうまさはもちろんのこと、地元、焼津産のカツオ節でとったダシに自家製の白味噌を合わせた味噌汁と、まるで衣かつぎのようにねっとりした味わいのむかごもなかなかのもの。すり鉢の中のトロロをきれいに平らげたら、千切りにした山芋をワサビ醤油で食べる「切りトロ」、梅肉につけて頂く「梅トロ」など、山芋を使った一品料理もさらに追加して、シャクシャクと芋をかじる。「そんなにパワーをつけて、一体どこでつかうの?」という弥次さんの突っ込みを聞き流して、黙々とトロロのエネルギー蓄積に励んだのであった。

 馬力もついたところでいざ、出発とばかり、難所だった宇津谷峠に昔のまま残る集落や、金谷峠の石畳の道、大井川に架かる木造の橋「蓬莱橋」など、東海道に縁のある史跡をいくつも巡った。とはいえ、昔の旅人のように自分の足で歩くのではなく、もっぱらクルマで移動するため、せっかくのトロロパワーは持ち腐れ気味である。しかし、1日中クルマに揺られていると、やはり腹は減るもの。日が傾いてきたことだし、「腹減ったんで、そろそろ飯にしましょうよ」と、上司に話す私は何だか、「水戸黄門」のうっかり八兵衛の様相を呈してきたようである。「仕方のない奴だな」と、まるで黄門様のように苦笑しながら答える上司とともに、金谷から国道1号線を引き返して焼津へ。駅からクルマで5分のところにある「鳴門寿司」の暖簾をくぐった。

 焼津はマグロやカツオなどが水揚げされる、日本屈指の遠洋漁業の基地として知られている一方で、駿河湾でとれる近海物の魚も評判が高い。鳴門寿司で扱う魚も、これら駿河湾産の近海ものが中心だ。カウンターに座り、ひとり3000円程度の予算で握り寿司を頼んだところ、ジルマイカという駿河湾のイカ、マダイによく似ている、身が柔らかいレンコダイ、冬場が特にうまいシメサバなど、休みなく出るわ出るわ。中でも、脂がしっかりとのったアジのうまいことといったら。もちろん、遠洋物の水揚げ港をすぐそばに控えているのだから、マグロはいつの季節でも食べられる。ほか寿司屋では珍しく、カマスや太刀魚、アマダイなど、焼き物も豊富に揃っている。

「遠洋物の高級魚よりも、その辺でとれる魚のほうが、味が深くて旨いんだよね」というご主人の後藤さんとの会話がはずみ、ビールが1本、また1本と進んでいく。ところでご隠居、帰りの運転は大丈夫ですかい? と隣に座る上司を見れば、酔いが回った真っ赤な顔で「ハッハッハ」と、黄門様のごとくご機嫌の高笑い。時計を見ると時刻は8時45分、そろそろ、「さて、もう1軒行こうか」と、お約束の「印篭」が出そうな時間である。(4月上旬食記)