味噌煮込みうどんや味噌おでん、どて煮など、名古屋には味噌を使った名物料理が数多い。これらに使われているのが、ドロリと濃厚で赤黒い色をした味噌。大豆からつくられるため「豆味噌」と呼ばれるこの味噌は、名古屋を中心とした尾張・三河地方独特のもので、地元の人々の食生活に根付いている。味噌汁など汁物や煮物、和え物などの料理に使うのはもちろん、料理に直接かけてしまう「味付け味噌」というものも存在するほど。名古屋の人が全国で一、二を争う味噌好きと言われる由縁である。

 名古屋の都心にありながら下町情緒が漂う大須の町は、東京でいえば浅草のようなところだ。大須観音から続く仁王門通りの沿道には、飲食店や雑貨の店、名古屋名物ういろうの老舗やきしめん屋といった、レトロムードな店舗が軒を連ねる。一方、1本隣の通りである万松寺通りには、ストリート系というかパンクというか、かなり奇抜な格好をした連中がゾロゾロ歩いているのには驚き。沿道にもファッションやアクセサリーなどのショップが数多く並び、名古屋の若者達のメッカなのだろうか。こちらはひと昔前の浅草や渋谷を思い出させるような雰囲気である。

 そんな個性的な町並みを歩くこと数分、門前町通りへ向かってやや折れたところで、目指す『御幸亭』の看板を見つけた。大正12年創業の老舗の洋食屋で、お目当ては人気メニューのひとつ、味噌カツだ。名古屋ではトンカツにソースではなく、味噌をベースにしたタレをかけるのが当たり前。トンカツも立派な、名古屋郷土の味なのである。お昼時をやや過ぎているが、店内は家族連れやグループ客で満席とずいぶん賑わっている。ここは古くから家族経営の店で、現在のご主人である3代目と、息子さんの4代目が店をとり仕切っている。フロアではお姉さんが二人、忙しい中を元気よく接客しているのが気持ちいい。順番を待ちながら眺めていると、目の前をハヤシライスやフライ盛り合わせの皿が行ったり来たり。これまた名古屋名物の、大きなエビフライもうまそうだ。

 すぐにひとり用の席が空いたため大テーブル席の一角に通され、さっそく味噌カツ定食と中ジョッキを注文。ライスと味噌汁付きで、しばらくすると洋食屋らしく、おかずが楕円形の銀皿にのって運ばれてきた。大き目のカツにはツヤのある濃茶のタレがかかっていて、少々味が濃そうだな、と思いながらまずはひと切れ。するとまろやかな甘味が広がった後、ほのかな渋みが上品に効いていて、これはなかなか後を引く。とんかつソースのピリッとした辛さとは対照的な、ホッとする優しい味わいだ。カツはやや薄め、衣は少々厚めなため、サラサラのタレがかかっていてもカラリと香ばしいのがうれしい。

 「味噌カツは私の父である2代目が始めたもので、うちのメニューの中では新しい方なんです」と話す、ご主人の奥さんである安田さんによると、この店のタレはさっぱりした軽さが特徴という。豆味噌にザラメを加えて鳥ガラスープでのばしたタレは、豚の内モモ肉に生パン粉をまぶし、ラードだけでカラッと揚げたカツとの相性バツグン。店によってはカツがベショベショになるほど味噌ダレをかけるところもあるが、やはりトンカツはサックリした歯ごたえが身上だろう。店ならではの味の秘訣を尋ねたところ、2代目が自分の子供が好む味にしたい、と娘、つまり「私の好みに合わせたんですよ」と笑っている。

 ちなみに味噌カツのルーツは昭和40年代、大須周辺に多かった屋台で、客が「どて煮」の味噌に串カツを入れて温めて食べていたこととか。だから味噌カツのタレはこの店のように、本来はつけ汁のような感覚かも知れない。タレの深みのある甘さがくせになり、カツをつまみながらビールを飲み干した後は、付け合わせのキャベツやポテトサラダも残ったタレにつけて食べてしまうほど。愛知万博は終了して久しいけれど、エネルギッシュな大須の町を歩き、名古屋の味である豆味噌を味わえば、あの頃盛り上がっていた名古屋のパワーを再び感じることができた気がした。(2006年5月21日食記)