
難波の老舗洋食屋「自由軒」の名物カレーで昼食にした後、大阪市民の台所である黒門市場を小1時間ほど散策した。かまぼこや天ぷらなど、市場ならではのテイクアウト入りの袋を提げて、宿に戻って軽く一杯… には、まだ少々日が高い。この分だと明日の午前中に訪れる予定だった、新世界やジャンジャン横丁へもいけるかも知れない。「大阪の秋葉原」との異名を持つ日本橋筋の電器街を、新今宮方面へ向けて歩くこと10分ほど。行く手にそびえる通天閣の姿が、次第に大きくなってきた。串カツ屋や立ち飲み屋、一膳めしにうどんなど、飲食店が密集するミナミ屈指の繁華街・新世界である。
フグの大きなちょうちんの看板が目を引くづぼらやのあたりから、原色の看板が連なる小路と通天閣の写真を何枚か撮った後、「ジャンジャン横町」のアーケードに着いた頃には、あたりにはすっかり明かりがともっていた。ここは細い通りに沿って、立ち飲み屋や串揚げの店、小さな寿司屋などが軒を連ねていて、周囲には将棋倶楽部や弓道場もある、大阪を代表する庶民の町である。特に、間口の狭い一杯飲み屋の多いこと。流行りのオープンテラス、などという洒落たものではないが、どこも入口に扉がなかったり、あっても開けっ放しで、すでにほろ酔い気分で盛り上がっている様子が、通りから丸見えだ。
そんなご機嫌な客達の誰もが、ビールや酎ハイ、コップ酒を片手に串揚げやどて焼きに喰らいついているのを見ると、こちらも気分が盛り上がってくる。横町の店の中でも特に串揚げが評判という『八重勝』を訪れてみると、なんとものすごい行列。列は店の前に2重に折り返しており、タイガースのユニフォームを羽織った若いグループ、ギンギンにメイクしたお姉ちゃん、さらに熟年カップルやこんな場所に父子連れなど、客層は実に様々だ。ほかにも串カツ屋はあり、この行列に向かって店の人が必死に叫んで客引きしているが、ここのほか通りの奥にある人気店「天狗」以外は閑古鳥が鳴いている始末。行列しているカップルの男性のほうが、込んでいるから別の店に行こう、と誘ったところ、女の子が「八重勝じゃないならいらんわ」。地元・大阪の客がこれだけこだわる串カツ屋とは、何だか期待が持てる。
20分ほど並んだ後に店内へと通され、長いカウンターの片隅に腰を据えた。まだ夕方だというのに、店内は串揚げをかじっている客と酔客でかなりの賑わいだ。カウンターの向こうには、どっしりと貫禄がある親父さんを中心に若い衆がずらりと並び、ひっきりなしに飛び交う注文を受けては、黒い大鍋の中で音を立てている油の中へと串をポンポン放り、揚がった串は客の前に置かれたトレイにどんどん並べられていく。先に頼んだビールを傾けながら、壁に貼られた品書きを見ると、串カツをはじめ、ゲソやタコ、豚肉だんご、貝柱や、玉ねぎにナス、ししとうなど、実に色々な種類の串揚げがある。値段も100円からと手ごろで、3本で300円の串カツと一緒に「どて煮」を頼むとすぐに、目の前の鍋でことこと煮ているのをさっと抜いて出された。
どて煮は牛スジを白味噌と砂糖で煮たもので、出されるのが早いのはうれしいがとにかく固い。七味がピリッと効いていて、よくかむと次第にスジの旨みが出てきて、味噌の強烈な甘みに負けずいい味だ。何度もガシガシとよくかみ、中継ぎにビールをあおり、と時間がかかるから、串揚げが揚がるまでちょうどいいつなぎになる。いい加減あごが疲れた頃、揚げたての串カツがジュクジュクと音を立てながら、目の前のトレイにころん、と転がされた。目の前の容器に入った、創業以来追い足されてきたという秘伝のソースに浸けてから自分の皿へと運び、ひと口かじった途端、衣がすっぽりぬけてしまった。
これでは素揚げだな、とあわてて肉を再びソースへ浸そうとすると、「ソース2度つけお断り」の貼り紙が目に入る。このルールのおかげで衛生上の面はもちろん、客達が次々に浸す串揚げによってソースの旨みが増すのだから、なかなかうまくできている。いわば大阪の串揚屋の「鉄の掟」で、2本目の串カツをソースに浸して、今度はしっかりかじりついてから串を引く。山芋を混ぜてありサックリカリカリの衣の中は、薄く柔らかい肉を衣がとろりと包み、これはいける。カウンターの上の皿に山盛りになったキャベツが取り放題で、これが串揚げの脂っこさを押さえて消化を助けるから、串揚げとビールがどんどん進んでしまっていけない。
串カツとどて煮をそれぞれ3本ずつ平らげ、追加は玉ねぎ揚げか、ゲソかと迷ったが、まだまだ時間は19時過ぎ。大阪のうまいもん食べ歩きは後が控えているので、軽くひっかけた程度で店を後にする。さすが食い倒れの町・大阪、地元客の行列の店は味に間違いなしだな、と感心しつつ、再び新世界界隈へ。するとさっきのづぼらやのフグ提灯にぼんやりと明かりが灯り、その向こうに通天閣のネオンがキラキラと輝いて見えた。(2006年5月20日食記)