かつて「私の血はワインでできている」と語った女優がいたが、新宿歌舞伎町の大衆酒場「酒蔵樽一」でしこたま飲んだおかげで、自分の血液もぜんぶ浦霞になってしまったのでは、と思うほどの回りようだ。とはいえ時間は21時過ぎ、帰るにはちょいと早すぎる。本能のおもむくまま足取りはふらふらと新宿大ガードを超え、JR線路脇の細い路地へと迷い込む。戸板一枚で区切った小さな一杯飲み屋がごちゃごちゃ密集したここ「思い出横町」もまた、樽一と同様に古き良き新宿の飲み屋のたたずまいを残す一画だ。

 思い出横町をはじめ、恋文横丁、焼き鳥横丁などの飲み屋が集まる新宿西口商店街は、戦後すぐに設置された露店商のマーケットがルーツである。当時は杉並や練馬など、焼け出され郊外で暮らす買い出し客で賑わったといい、いわば戦後から昭和30年代にかけての新宿の活力源といったところか。以後、駅周辺の開発が進むにつれて規模は縮小、さらに平成11年には大火事に見舞われたが現在も35軒ほどの飲食店が営業、今では新宿のサラリーマンにとっての活力源となっているようだ。

 軒にぶら下がる赤ちょうちんに気をつけながら、腰を据えて飲む店を探してさらにふらふら。狭い間口にカウンターだけといった、ウナギの寝床のように細長い店が多く、まだ週の始めというのにどこもほぼ満席と賑わっている。「宝来家」の文字が書かれたちょうちんが下がる店からちょうどお客が出てきたので、カウンターの後ろのわずかな隙間を壁に這うようにして奥へ。席に着いてひと息つき、とりあえずビールと煮込みを頼むと、うちはモツ焼きの店ですがよろしいですか、とお兄さん。メニューを見るとタンにハツ、レバ、カシラ、コブクロと各種モツがずらりと並び、目の前の小さなコンロと鉄板で焼いて頂く仕組みのようだ。ひと皿480円、2種ミックスだと580円とお得で、ハツとタン焼きを頼むことにする。

 豚や鶏の内臓を串に差してあぶったモツ焼きは、界隈では焼鳥の店に並んで圧倒的に多い。食料の統制品の管理が厳しかった戦後、統制外だった豚のモツを使った店が流行した名残りで、安価な上に体力がしっかりつくということで大人気を博したという。ちなみにここは串で焼くのではなく、鉄板で焼くホルモン焼きが名物だ。小振りの鉄板にハツとタンを半分ぐらいずつのせて、肉汁が染み出てきたところでまずひと切れ。タンはジューシーでサクサク、ハツはコリコリと歯応えのある食感、タレは塩ダレと醤油ダレが選べるが、塩のほうが肉の味を素直にひき出しているよう。

 煮込みの方もほろりとくずれ旨味たっぷりの牛スジに、しゃっきりした白モツ、さらに旨味をじっくり吸った豆腐もたまらない。芝浦の東京都中央卸売市場食肉市場直送の生ホルモンを使っているだけあり、鮮度バツグン、いずれの料理もモツ特有の臭みも全くない。鮮度がいいならば刺身もぜひ、と「ホルモンのお刺身」メニューから和牛レバ刺しも追加。BSEの騒動以来置く店が激減してしまい、今や貴重なスタミナメニューだ。こちらはタレにショウガかニンニクが選べ、シャキシャキとろりとした食感のあとにニンニクの香りがガツンと効いてくる。たっぷりのネギとタレの濃い味付けが食欲をいっそう刺激して、これは確かに元気が出るメニューである。

 おかげでかなりの酔いからすっかり復調、常連もいるだろうこんな店で一見の長っちりは野暮だから、ビールの追加は我慢して席を立つ。はしご酒の店には事欠かないが今日はもうアルコールの許容量オーバー、改めて新宿遠征の際には、もっと早い時間から攻めることにしよう。(2005年11月7日食記)