
遅い夏休みが取れたので、家族で南紀へと旅行することになった。羽田を早朝発の飛行機に乗り、南紀白浜空港まではわずか1時間。レンタカーで本州最南端の潮岬最寄りの串本へ、お昼前に到着した。そのまま岬へ行ってもいいのだが、朝からの長旅で子供たちはちょっとお疲れ、お腹をすかしている模様。観光地で食事をすると高くつくこともあり、串本の市街でお昼を済ませることにして、ガイドブックを見て串本駅前を目指した。
本に紹介されていた「萬口」は串本駅のすぐ近くに見つかったが、入るのに一瞬、躊躇するほど相当古びた店だった。ガタピシと扉を開けて、これまた年季の入った雰囲気の店内へと入る。小さな座敷に通されると、おばさんが注文を取りに現れた。品書き片手だが、「うちの名物はカツオ茶漬けでね。店に来る人は大体が頼むんだがね」と、選ぶまでもなく決められてしまっている。ではおすすめと、子供たちに天ぷらの盛り合わせを厨房のおじさんに頼むがなかなか聞こえない様子。大声で叫んで何とか注文が通ったが、店の人も何とも独特な雰囲気である。
「万人の口に入ること」が店名の由来というこの店は、尾代さん夫妻でやっている家族経営の店である。地元串本港で揚がる魚介を使った料理が自慢で、中でもカツオのたたきや焼き造り、洗いなど、カツオを使った料理が充実している。早春から食べることのできるカツオ茶漬けは、ここの看板料理。おばさんの話の通り、店内に飾られたサイン色紙の有名人(概ね退色しているが)も、これを食べに来た人が多いという。
運ばれてきた盆には、おひつに入ったご飯と空の茶碗、それにカツオの刺身と薬味が並んでいる。食べ方の説明を聞いていると、おばさんに合わせてやるように則されてしまった。まず茶碗にご飯を半分少し盛り、箸でカツオの刺身をご飯が見えなくなるぐらいまでのせ、スプーンで刺身の漬けダレをかけ、好みでワサビと刻み海苔をのせて出来上がり。1杯目は茶漬けでなく、カツオ丼で頂く仕組みだ。ご飯とカツオを一緒に口に運ぶと、身は小さいものの、タレの下味がよく染みていて甘みがある。このタレ、実に食欲をそそる風味で、タレだけでご飯を頂けるほど後をひく味わいである。
軽く1杯平らげると、2杯目もふたたびおばさんのご指導を受ける。まずは残ったご飯を茶碗によそい、カツオの刺身も残り全部のせる。さらに海苔とワサビものせ、タレをざっとかけまわしてから熱々の玄米茶をかけて、主役のカツオ茶漬けの出来上がりだ。ややおいて、刺身が白くなるといよいよ食べ頃。タレの旨味とカツオの旨味が熱を加えることで倍増し、ざくざくとかきこめる。タレは醤油ベース・ゴマだれの風味で、酒も入っている感じか。一見、単純な料理だが、カツオの味の引き出し方を熟知している、水揚げ地ならではの料理だろう。
お茶漬けだからさらりと平らげ、あっという間にごちそうさま。下げに来たおばさんにうまかったです、と感想を述べてタレの味付けを聞いてみると、「それは秘伝。でも味噌はつかっていないよ」と満足げに笑っている。子供たちはおじさんにおみやげだよ、と「ピョンピョン貝」という巻き貝の貝殻をもらい大喜び。最初の心配はどこへやら、家族みんな大満足で、潮岬灯台へ向けて店を後にしたのだった。(2004年10月31日食記)