田中洋輔先輩は、自分にとって(朝岡先生や中村知大先輩と並んで)御茶ノ水支部での師匠にあたる存在でした。

というのも、自分は普段、空道の稽古に参加できるのは、日曜選手クラス(通称サンデー空道)での稽古のみなのですが、その指揮を取られていたのが田中先輩でした。

なのでそんな先輩が転勤にて御茶ノ水支部を離れるので、非常に寂しい気持ちで一杯です。(このブログが掲載される頃にはもう異動された後だと思いますが…)

ここで田中先輩の略歴をご説明させて頂きます。

元々高校時代は柔道部早稲田準支部で空道を始められ2016年北斗旗全日本-240級王者、2016無差別三位という輝かしい実績を誇る名選手であり、強靭なフィジカルのに裏付けされたテイクダウン力が持ち味であり、打撃から一気に組付いて極め…まで持っていくスタイルは「テイクダウン空道」と畏怖される名選手でした。

初めての出会いは今から約4年前。仕事の関係で一時期は大道塾を離れ、修斗などのリングで活躍された後、御茶ノ水に復帰された時のスパーリングでした。

私自身、空道では北斗旗予選や地方大会で入賞レベルですが、キックではある程度勝ち越しており、また沖縄拳法も含め打撃には多少の自信はあったのですが、田中先輩とのスパーでは、打撃が交錯した瞬間に組み付かれ、テイクダウンからのキメ突き関節でなどで瞬殺され、相当ショックを受けてしまいました。

そらからというもの、日曜クラスで直々教わる事になり、毎週約3時間に渡るハードな稽古を重ねました。

日曜クラスは、マット運動から始まり、その後はスパーを中心に立技、組技、寝技、補強…と満遍なく行うのですが、最初は中々体力が付いていかず、稽古後は疲労困憊で歩けないほどでした。

正直当時は日曜道場に向かうのが憂鬱な時もありましたが、先輩がムードメーカーとして明るい雰囲気で引っ張ってくれたお陰で稽古後を続ける事ができました。

そんな稽古を重ねながら、田中先輩の試合でセコンドとして喜びや苦しみを出来たことはとても心に残る思い出です。

特に2017年のアジア大会での脛骨骨折から、世界大会で復帰するまでの一年は、本当にドラマチックな時間だったと思います。

骨折直後は、世界大会出場はもう無理かとも思われましたが、類稀なる集中力と努力により、再度代表選手の切符を手にされたときの喜ぶは、我が事のように嬉しかったです。

最後の世界大会では、王者マナヴァシアン相手にテイクダウンを奪うなど、「あわや…」と言う所まで追い詰めながらも最後は壮絶に散ったことが、昨日の事のように思い出され、今でも目頭が熱くなります。

先輩が道場を離れる前に「どんな時にもここに来て練習したい…と思える仲間と場所がある事が大切であり、御茶ノ水はそう言う場所だった…」と言われましたが、その言葉を胸に、皆で御茶ノ水支部を盛り立てて行かねばと言う思いが強まりました。

田中先輩、本当にありがとうございました。これかも益々の活躍を願っております。

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