詩人の谷川俊太郎さんが
今月の13日に亡くなられました
享年92歳
心よりご冥福をお祈りいたします
彼、谷川俊太郎さんについては
僕のブログでも
数えきれないほど取り上げてまいりましたが
その中でも
ここ数年
最も力を込めて訴えていたテーマが
✨ノーベル文学賞✨
を
谷川俊太郎さんへ‼️
でした
残念ながら僕の希望は果たされることなく
彼は鬼籍に入られました
でもね
ノーベル賞なんて本当はどうだっていいのです
そんなことに関係なく
谷川俊太郎さんは偉大な詩人なのです
そして
僕にとって谷川俊太郎という人は
同じ時代に生きる現人神みたいな方でした
肉体を持ってここ日本に実在し
自分と同じ空気を呼吸しているにも関わらず
僕の頭の中で彼はすでに
歴史上の人物でした
紫式部か鴨長明か?
あるいは
滝沢馬琴か松尾芭蕉か?
くらいのスケールで存在し続けた人物でしたよ
もうね
伝説を超えちゃって本気で架空の人物感さえ
漂ってましたね
僕の中では^^;
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黄金の魚
(パウル・クレイの絵によせて)
おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
パウル・クレー 黄金の魚
実は僕は先日(11月23日)
東京神田に用事で出かけ
午後から久しぶりに神保町を歩いてみたのです
かつて
昭和の文人たちが行き交った神保町
古本屋が軒を連ね
紙媒体知的文化遺産の墳墓みたいな風景に
田舎育ちの文学少年サスケは
強く憧れたものでした😅
そこで
俊太郎さんへの追悼記事に
多少なりとも実のある話しを付け足すことが
出来るんじゃないかと
ぶらぶらあてもなく歩いてみたのです
だけど
時は移りました
かつての古本屋街の姿も今は遠くになりにけり
神保町は今やすっかりカレーの街に変貌し
昭和の文人が行き交った昔日の面影さえ
探すのが難しい
一昔前の神保町
ただ
寂しい思いと同時に
僕にはまた別な思いも浮かんできたんです
谷川俊太郎さんに神保町は似合わないなって
俊太郎さんは
大量の古書の海をさまよう文人より
木漏れ日の下をあてもなく歩く詩人だったと
思うのです
いつも好奇心いっぱいの瞳を輝かせて
そう
彼はいつまでも二十億光年の孤独にくしゃみする
永遠の青年だった
そして
実に光が似合う人でした
明るい陽射しに眼を細めながら
彼は
彼特有の日本語という感性の電波を駆使して
この宇宙
この世界
この世の始まりから終焉までの秘密を
探そうとしていた
日本語を使って
谷川俊太郎さんの旅がどこまで行き着いたのかは
僕には分かりません
もしかしたら
彼自身にも分かっていなかったかもしれない
僕たちは
彼が残してくれた沢山の詩の言葉から
それを想像するしかないのです
俊太郎さん
あなたの詩は
日本語で書かれているはずなのに
それは日本語から外れた
俊太郎語でした
誰も気がつかなかった日本語の魅力と
驚くほど多彩な可能性を
あなたはあなたの人生を通して
見せて下さいました
あなたの魂がいま何を見て何を感じているか
あなたの言葉でもう一度聞いてみたいです
お別れです
でも、また会えますね
楽しみにしています
その時まで
しばらく
さようなら
俊太郎さん
ありがとうございました
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世界の約束
涙の奥にゆらぐほほえみは
時の始めからの世界の約束
いまは一人でも二人の昨日から
今日は生まれきらめく
初めて会った日のように
思い出のうちにあなたはいない
そよかぜとなって頬に触れてくる
木漏れ日の午後の別れのあとも
決して終わらない世界の約束
いまは一人でも明日は限りない
あなたが教えてくれた
夜にひそむやさしさ
思い出のうちにあなたはいない
せせらぎの歌にこの空の色に
花の香りにいつまでも生きて



