宇宙の森探索 -2ページ目

宇宙の森探索

風ノ意匠サスケの変態ブログ




今月13日

詩人の谷川俊太郎さんがお亡くなりになりました。


92歳


心よりお悔やみ申し上げます。



合掌





谷川俊太郎さんとの出会いは

僕が中学一年生のとき、学校の図書室で手にとった

1冊の詩集でした。


「二十億光年の孤独」


彼のデビュー詩集


それは

忘れられない鮮烈な体験として

あの日から半世紀近く経った今も

僕の胸に生々しく刻まれたままです。


慣れ親しんだ平凡な言葉でありながら

なぜだか瑞々しく躍動する言葉たち。

よく知っている言葉なのに

谷川俊太郎の手にかかると、不思議なことに

日常が日常から外れ

平凡が平凡なふりのまま

よそゆき顔になってしまう。


詩は言葉の魔法であることを

僕は

彼の詩から学んだのでした。


キラキラ


かなしみ


あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい


透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった


詩集「二十億光年の孤独」より


キラキラ


92年の生涯で

夥しい数の詩を世に送りだしてきた

谷川俊太郎さん。


どの作品をここで紹介しても

当然ながら

彼の天才とその偉業を伝えることなど不可能です。


僕に出来ることは

ただ単純に自分のお気に入りの詩を

皆さまに紹介して

谷川俊太郎さんを偲ぶだけです。

本当に

それだけなんです。


では

数ある彼の詩の中で

とりわけ僕の好きな詩集「62のソネット」から

この作品を取りあげまして

谷川俊太郎さんの追悼に代えさせて頂きます。


キラキラ



1. 木蔭


とまれ喜びが今日に住む

若い陽の心のままに

食卓や銃や

神さえも知らぬ間に


木蔭が人の心を帰らせる

今日を抱くつつましさで

ただここへ

人の佇むところへと


空を読み

雲を歌い

祈るばかりに喜びを呟く時


私が忘れ

私が限りなく憶えているものを

陽もみつめ 樹もみつめる


詩集「62のソネット」より


キラキラ


当時中学一年生だった僕は

「木蔭」の冒頭


とまれ喜びが今日に住む



とまれ


STOP!の意味ではなく


ともあれ


であることが分かった。

なぜだか、瞬時で分かっていた。


ずっと後になって

何かの解説文でそのことが証明されたときも

僕には特別な感慨などなくて

むしろ

作者である谷川俊太郎と同じ感覚で

あの詩世界を捉えていたという誇らしいような

感動を覚えたものでした。


詩や小説や絵画や映画や、、

表現者たちが世界を切り取る瞬間の

直感と意図的な計算の背景が

なぜかしら僕には見えることがあって

それをたとえば

共感覚と呼ぶことも出来るでしょう。


その原初的体験が

「木蔭」の


とまれ


だったのです。


九州の田舎町に生まれ育った少年にとって

そんなナイーブな感性は

ずっと

ずっと

痛々しく煩わしい厄介なものでしかなかった。

繊細すぎるアンテナが刃となって

自分自身を傷つけてしまう。


でも

それでも

谷川俊太郎さんの詩が

いつも隣りにあったから

僕はここまで生きてこれたのです。


あなたとの共感


その確かな喜び、手ごたえ


あなたの日本語が

僕を生かしてくれたのです。


俊太郎さん

あなたは、その死でさえも

僕にとって豊かなポエジーの源泉なんですよ。


あなたは生きる。

これからもずっと。

あなたは死なない。

なぜなら

死さえもあなたの詩だから。



今夜は

あなたの好きだったモーツァルトを聴いて

寝ることにします。


長い旅でしたか?

あっという間でしたか?

かける言葉は何もありません。


心からの感謝とともに


しばらくの


お別れです。


ありがとうございました。




モーツァルト ピアノソナタ・第4番 

黒木 雪音