これだけ介護をしてますと、どうしても人の死と向き合うことになります。人は誰でも死にます。例外はありません。どのように死を迎えさせてあげるかというのも介護の重大な課題です。
最初に向き合ったのは父の死です。MRIの画像を見せられた時この程度の出血なら手術出来るのでは無いかと思いました。次に医師が見せた画像では脳幹にまで出血が及んでおり延命治療する以外には無いとのことでした。延命治療しなければ1日の命だそうで延命治療しないと決断したとき医師と不思議な笑顔を交わしたのを覚えています。90歳ということもありました。
母もお義母さんも看取り介護でした。父も母も義母も親族に見送られた大往生でした。義弟の場合はこの辺が複雑なんです。64歳と若く病院で治療を受ける過程で経管栄養をした。意識が戻るかもしれず必要な医療措置だと思う。でもこれは延命処置でもあっていったん施術するとこれを抜くのは殺人罪になるそうです。医療費は年金の範囲で延命治療すれば少し残ります。もちろん実際の医療費はその100倍かかる。保険ですからね。
どうも胃ろうに移行する時に家族の承諾がいるらしい。私が夜勤の時に義妹と一晩話し合い義妹が担当することになったらしい。家内は情愛が深すぎて駄目なんです。私の出る幕ではない。義妹は聡明なので適任ですが、何らかの罪の意識を背負うことになる。義弟の介護で一番大きな決断になるでしょう。
若い頃からずっと健康保険を収めて来ました。病気で入院もしたけれどトータルで収めた保険料のほうがはるかに大きい。一体誰が使っているのかと思っていましたが、義母が末期がんになり収めた医療費を計算するとかなり高額で、負担額はわずか、やはり保険なんだと思いました。
終末医療にかかる膨大な医療費を考えても、持続可能な医療保険制度の存続を考えても、個人の死ぬ権利、死の尊厳を考えても、私たちは倹しく制度を利用して逝きたいと思っています。もちろん、回復する可能性があるなら話は別です。