神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

護摩祈願・オンラインありがとう禅・ありがとう断食などに関する詳細情報は、町田宗鳳のホームページをご覧ください。ご参加をお待ちしております。https://arigatozen.com/

台湾旅行の前日、安全祈願の弘法護摩を焚いた。すると、訪問予定にしていた「黒森林」におわすご神霊から「高い所で あやさすらいて 皆を待つ」の声が届いたので、参拝を欠かすわけにはいかないと思った。

 

しかし、現実には幾つものハードルがあった。まず目的地にまで行く小型バスが週末のために混雑し、参加者12名全員が乗れる可能性が極めて小さかった。⇒ 往復ともに全員が坐れ、しかも貸し切り状態になった。

 

黒森林での神事の際、大勢の観光客が押し寄せる可能性があった。⇒ 実際に神事直後、そういう状態になった。

 

「白龍に見立てて、濁り酒を供えよ」⇒ 白龍が如き白い霧が森に漂っていた。

 

「目前の景色が変われば、全員歓迎の験しである」⇒ 霧雨の中、太陽の光が差し始めた。

 

「御杖(みつえ)の後に直会であるぞよ」⇒ 神事の最中に、大枝が爆音を立てて落ちた。その後、山上の山菜料理店で、予約もせずに直会を開くことが出来た。

 

帰途、温泉入浴を予定していたが、バス混雑のためにほぼ諦めていた。⇒ ゆっくりと二時間の湯治が出来た。

 

下山後、食事を予定していたが12名が一挙に入れる店は皆無に近かった。⇒ 人気餃子店や豆花カフェで、全員が食事できた。

 

恐るべきは神の効験だ。決して侮ってはならない。人間の傲慢には必ず天罰が下ると考えてよい。

台湾旅行の楽しみの一つは、地元民が買い物にやって来る朝市だ。その活気たるや、この国の国民性そのものだ。八百屋や魚屋の売り子たちは、絶叫しながら客寄せをする。その雑多性にも、目を見張るものがある。肉切り包丁で派手に肉をさばいている横で、衣服を売っていたりする。

 

しかも、その吊るし物の中には一流ブランドの新品が混ざっていて、なんと日本円で500円程度で買えたりする。決してバッタものではない。そんな所に、うちの魔女を解き放つと何時間も帰って来ない。服だけでなく、ブランドのバッグを買ってきたりもするから驚きだ。今回の台湾訪問も、私の講演のためなのか、買い物のためなのか、怪しいものがある。

 

台湾名物の夜市は観光客向けなので、あまり生活感がないし、価格も高めだ。次回、台湾に行かれたら、最寄りの朝市を探されて、散策をお勧めする。但し、500円でブランド品を見つけるのは、上級者向けの必殺技だ。(笑)

 

元々、事業で成功していた人が、仕事のストレスからか、知らず知らずの間にアルコールに溺れるようになってしまった。お人柄はすこぶる良いのだが、内面に弱いものを抱えているのだろう。おまけに、憑依の要素もあるようだ。

 

そういう人物に対して弘法大師は、「そなたの人生をこれで終わらせてはならぬ。片手片足の人生ではなく、その身すべてを使って、幸せをつかんでゆくのだ」と励まされた。しかし現実にはアル中の泥沼から脱却するのは、容易なことではない。

 

そこで言われたのが、「強く手を引く者に、まずはついてゆくがよい。あれよあれよと知らぬ間に整ってくるはずである」という言葉だ。ここで「強く手を引く者」とは、どうやら私のことらしい。私は護摩を焚くだけで、どなたの問題にも個人的に関わらないようにしているのだが、時々、弘法大師は私が直接動くことを指示される。その結果、難題が解決されることもある。いつもヤギと一緒に昼寝をしているような馬糞和尚が、少しでも世のため人のためになれるのなら光栄なことだ。