私はADHDを伴う自閉症スペクトラム障害(ASD)を抱えていて、神戸女学院大学音楽学部ピアノ専攻を卒業しています♪
ASDと言っても、実際の私はほぼHSPと言っても過言はない特性を持っています。
5月は場面緘黙啓発週間。
私も場面緘黙の傾向が恐らくあるので、少しこのことについて書いてみようと思います
私は雑談が苦手です…
でも、『雑談なんてどうでもいい。意味がない。』と思っている訳ではないんです(>_<)
雑談が苦手だという話をすると、よくこう勘違いされてしまうので悲しくなります…
どうしても色々と考えすぎてしまって自分から話せないから、苦手なだけなんですけどね
本当はみんなともっと喋りたいですし、自分から話せてないだけで会話自体は楽しんで聞いてるんです…
昔は、自分が喋っているところを周りの人に見られるのが怖くて不安という意味でも喋れませんでした。
あとは、『そのクラスで私は話さないイメージがついてしまっているから、そこではもう話せない…』という気持ちでもいっぱいになっていました
もうそこでは話さないイメージがついてしまっているのにいきなり話したり挨拶し始めたりしたら、『何で急に話し始めたの?』とみんなに変に思われてしまうかもと不安になっていました
相手の反応を過剰に昔から気にしてしまっていましたね…周りのことばかり気にしてしまうんです…
でも、『誰も私のことを知らない場所でなら話さないイメージがついていないから、話せるかも…』と思っていました
そして…たった一言。たった一言話したいだけなのにそれを言えない…
酷い時は挨拶すら出来ず、何とか頑張ってしようと思っても体は緊張でガチガチに固まって出来なくなってしまうんです
ところで話が少し変わりますが、『古見さんはコミュ症です』という漫画を知っていますか?
その漫画のヒロインである古見さんが黒板に自分の思いを書く場面があるのですが、それが私の気持ちそのものだったので見ていて共感して泣いてしまいました
『辛かったんです。お弁当の時間が。皆がお喋りしながらご飯を食べているのを見るのが辛くて。
三年間毎日話しかけようと思っていました。でも、声をかけることが出来なかったんです。
どうしよう。どうやって話しかけよう。話しかけた後どうしよう。拒否されたらどうしよう。
次の会話はどうしよう。つまらないって言われたらどうしよう。
上手く笑えなかったらどうしよう。友達になれなかったらどうしよう。
無視されたらどうしよう。
変な子だって思われたらどうしよう。
一生このままだったらどうしよう。
本当は喋りたいんです。
私は挨拶をすることすら出来ません。他の人はみんな出来るのに。
昨日見たテレビの話も今日の天気の話ですら私には出来ません。』
こんな感じの内容でした。
もう本当に、私の気持ちを全部代弁してくれているようで。。。
雑談なんて意味がないと思っている訳じゃなくて、本当は喋りたいのに様々な『どうしよう』で頭がいっぱいになって話せなくなってしまっている状態なんです
話したいのに話せなくてなかなか仲良くなれず、みんなと同じような経験は何も出来ないまま時間だけが無駄に過ぎていき、大切な若い時を失ってしまうのが悲しい…
ちなみに私の場合は昔よりは少し話せるようになっていると思うのですが、それでもみんなに比べたらやっぱり口数がすごく少ないなと思います(*_*)
『つまらない人間でごめんね、つまらない思いをさせてしまってごめんね。』と申し訳ない気持ちでいっぱいになります
本当は喋りたいけど緊張や不安で喋れない状態になっているのが『場面緘黙症』だということを知って頂けると嬉しいです
オリジナル曲『どれだけ時が経っても』という曲を作曲しました
いじめにあったり不登校になった経験もあります。
少し話は変わりますが、障害等困り感を持っている人を受け入れてくれるピアノ教室が少ないことに気づきました。
私も、過去にピアノの先生から心無い言葉を言われた経験があります。
もっと障害や一人一人の困り感に理解のある教室があればいいのに…そう思っていました。
だったら自分で作ったら良いじゃないかと作る事にしました。
それぞれの方に応じたコースを設けていますので、習いたい方がおられましたら声をかけてくださいね(*´ω`*)