カイロ大幹部が声高に訴えた小池知事擁護論 

「学歴詐称」刑事告発会見に“援軍”で乱入

 

窮地のたびエジプトから救いの手(C)日刊ゲンダイ

窮地のたびエジプトから救いの手(C)日刊ゲンダイ© 日刊ゲンダイDIGITAL

小池都知事にエジプトからの援軍だ。来月7日投開票の東京都知事選に向け、20日の告示を前に元側近の小島敏郎氏が18日、学歴詐称の疑いがあるとして小池知事を公選法違反(虚偽事項の公表)罪での告発状を東京地検に提出。その会見の場に小池知事の卒業を認めるカイロ大の元幹部が“乱入”したのだ。

小島氏は今年4月発売の「文藝春秋」で、小池知事の「学歴詐称工作に加担してしまった」と懺悔の告白。選挙公報に「カイロ大卒」と記すのを待たず告発したのは「選挙期間中だけ黙っていればいいのか」(小島氏)と、今回の選挙公報から「カイロ大卒」の学歴を消す事態も想定したためだ。

会見では、小池知事のカイロ大卒の肩書は50年近く世間に流布され、本人は都議会で質問されても答弁を拒否するなど意図的に放置し訂正もしなかったことが、公選法の虚偽事項の公表に当たると説明。現時点でも公選法違反に問えると判断し、小池知事の出馬表明を待って告発状の提出に踏み切った。

 

18日、小池知事は選挙公報への学歴記載について「これまで通りだ」とし、カイロ大卒と表記する意向を表明。小島氏の懸念は杞憂に終わりそうだが、当然、立件は「カイロ大卒の否定」が大前提となる。小島氏は捜査をうながすため、かつて小池知事が公表した「卒業証書」と「卒業証明書」における疑問点を訴えた。

▼「1976年10月、カイロ大文学部社会学科卒業」と説明してきたが、卒業証書は〈1976年10月の文学部における試験結果の確認後、1976年12月29日、大学評議会は決定した〉と記載▼学生登録番号が空欄──などと指摘。また、4段階評価の上から3番目の「良」で社会学科の文学士号が授与されたとの記載から「小池さんが主張した『首席卒業』はまず不可能」と断じた。

質疑応答に入ると、真っ先に挙手し猛反論する人物が現れた。カイロ大文学部の副学部長だったハムザ・イサム氏(67)。その経歴から「どういう過程で(卒業証書などが)発行されたかが分かる」と語り、流暢な日本語で一方的にこうまくし立てた。

「当時の卒業生は1年に少なくとも2万人。2万枚の卒業証書に学長がサインするのには何週間もかかる(ので12月29日の確認は矛盾しない)。小池さんはスイスイとは卒業しなかった。5~6月の試験でアラビア語ともうひとつの科目を落とし、9月に追試を受け、結果発表は10月。彼女は確かに10月に卒業した」

会見後、臨時の囲み取材に応じたハムザ氏によると、彼はカイロ大日本語日本文学科の第1期生。2学年上の小池知事とはキャンパス内で3回ほど顔を合わせた。日本人留学生は珍しかったが、まだ日本語を話せず、会釈する程度だったという。

「当時は学生登録番号もデータ化されておらず、卒業証書への不記載も珍しくなかった。私の卒業証書も空欄です」

追試のトップだから「首席」と勘違い?

カイロ大卒後は大阪大に留学。その後も幕末・維新期の思想史が専門の「日本通」として何度も日本を訪れ、小池知事とは旧知の仲だ。

22年11月、小池知事がエジプト出張の際、学長を務めていた「エジプト日本科学技術大」で会談したという。今年3月下旬に来日し、8月には帰国する予定である。

「彼女の大臣就任以降、日本メディアから何度もカイロ大に卒業の問い合わせがあった。副学部長時代に私は『OB係』の古い資料を調べ、修得科目も細かくみた。学業実態のある卒業だと確信している。追試を受けた学生に限れば彼女の成績はトップ。だから『首席』と勘違いしたのだろう」

ハムザ氏の説明を伝えると、小島氏は「後づけにも聞こえるし、彼は彼女の卒業した場に居合わせたわけでもない。やはり小池さん自らが説明すべきです」と答えた。

「誰に頼まれたわけでもなく、自分の意思で来た」とはハムザ氏の弁だ。小池知事が学歴詐称問題で窮地に立つたび、エジプトから救いの手が伸びるのは偶然なのか。