記者会見ではしどろもどろに…関東大震災

「朝鮮人虐殺」をめぐる、小池都政の“負の遺産”

 

 

 今度の都知事選、現職の小池百合子氏が出馬するなら3期目を狙う立場になる。

 ではこれまでの小池都政のレガシーとは何だろう? 本人は6月7日の会見で、

《2期目のレガシー(遺産)は何かと問われ、18歳以下の都民に月5000円を給付する事業「018サポート」や高校授業料の実質無償化について所得制限を設けなかったことを挙げ、「これらの所得制限を外すことは私のレガシーの一つだ」と述べた。》(毎日新聞6月8日)

小池都政の「負の遺産」

 一方で、明治神宮外苑の再開発が「負の遺産」ではないかという質問に対しては「認識の差だと思う」と答えた。

 

これらの質問は「報道特集」(TBS系)の日下部正樹キャスターが質問したものだ(8日の放送で流していた)。質問はまだあった。小池知事が関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に、なぜ追悼文を送らないのか? である。

 

追悼文は就任翌年の2017年から7年連続で送っていない。

 

©文藝春秋© 文春オンライン

 私はこれぞ「負の遺産」ではないかとずっと感じていたので先日、小池氏周辺の人に尋ねた。

4月の衆院補選・東京15区に乙武洋匡氏が無所属で出馬したが、乙武氏は小池氏と事実上のタッグを組んでいた。

なので街頭演説を終えた乙武氏に「追悼文を送らない小池氏をどう思うか。

乙武さんも賛同しているのですか」と質問したところ、乙武氏は「すべて考えが一緒であることはない」

というような返答だった。

 なぜ小池氏は追悼文を送らないのだろう?

2017年に何があった?

 理由について「毎年(都慰霊協会が営む)大法要において、都知事として犠牲となった全ての方々への哀悼の意を表している」と小池氏は昨年述べている(時事通信2023年9月1日)。

しかしこれは話のすり替えだ。朝鮮人犠牲者は地震で亡くなったわけではない。

デマによって起きた虐殺で亡くなったのだ。小池都知事は歴史の事実に向き合おうとしていない。

 では追悼文を送付しなくなった2017年に何があったのか?

 当時の記事を調べてみると、3月の都議会でこんなやり取りがあった。

 

《小池氏は3月、都議会で自民党都議が虐殺の犠牲者数について、主催団体が案内文でも触れている「6千余名」とする説を根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆した。》(朝日新聞デジタル2017年8月24日)

 

 つまり、追悼文取りやめは自民党都議の質問がきっかけだった可能性が高い。東京都議会のHPで当時の記録を調べてみるとそれは3月2日だった。

『朝鮮人犠牲者追悼碑の改善を 戦没者を追悼し靖国神社参拝を』古賀俊昭(自民党)

 自民都議・古賀俊昭氏の質問で注目したのは次の言葉だ。

《私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』であります》

古賀都議の主張は

「工藤美代子」という名前が出ている。『トリック―「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(加藤直樹 著)という本では、工藤美代子・加藤康男夫妻が著した朝鮮人虐殺を否定する本を取り上げ、どのように間違っているかを検証している。仕掛けられた“トリック”の数々を明らかにしているのだ。ネット上で広まる「虐殺はなかった」論は工藤美代子氏らの言説の鵜呑みが多いのだ。古賀都議はその本を小池氏に紹介していた。

 古賀都議は質問の中で、朝鮮人追悼碑に犠牲者の数として「6000人」という数字が刻まれていることを「事実に反する一方的な政治的主張」で「むしろ日本及び日本人に対する主権及び人権侵害が生じる可能性があり、今日的に表現すれば、ヘイトスピーチであって、到底容認できるものではありません」と述べていた。

『トリック~』ではこれについて、

《約6000人という数字は、震災後に朝鮮人留学生たちが監視の目をかいくぐって現地調査した結果を、上海の独立運動機関紙がまとめ、発表した数字に基づく。近年、研究の進展によって必ずしも実態を正確に捉えた数字ではないとされるようになり、最近は「数千人」という幅のある記述がなされることが多い(略)ただし、追悼碑が建立された1973年時点では、政治的立場を問わず「6000人」と記述するのが普通だったので、これが「政治的主張」だという古賀氏の主張は当たらない。》

 と指摘している。さらに古賀都議は工藤美代子氏の本に依拠して、何の罪もない朝鮮人が殺されたという歴史認識自体を否定していたことにも言及している。要するに「6000人」という人数は不確かだ、というのは質問の柱ではなかったのだ。都議会の記録を読むと追悼碑について「撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが、知事の所見を伺います」と「撤去」も提案して質問を終わらせていた。

 

 いかがだろうか。2017年3月の都議会ではこうした問答があったのだ。そもそも「朝鮮人虐殺はなかった」という学説は存在しない。しかし小池都知事は「いろんな史実として書かれているものがございます。どれがどういうのかというのは、まさしく歴史家がひも解くものではないだろうかと」と言い続けるようになる。事実とデマを並べて「いろいろな史実がある」と。

都知事には説明責任がある

 繰り返すがこの経緯は、虐殺はなかったと主張するトンデモ本を自民党都議が小池氏に「紹介」し、小池氏が「私自身が適切に判断する」と答弁したことからだ。そして半年後に追悼文を取りやめた。どう考えても都知事には説明責任がある。

 ちなみに冒頭に記した7日の会見で「報道特集」のキャスターが「追悼文を出さないということは、小池さんは語り継ぐことの重要性をあまり感じていないということか」と質問すると、

「東京大空襲など、被災された方々の重要な証言などを受け継いでいる作業も今も行っております」

 と小池氏は完全に話をずらした。「(朝鮮人)虐殺についてはどうなんですか」とさらに問われると、

「この東京で亡くなった様々な災害において空襲も含めてでございますし、そういった方々の霊を安らかにということで…え…この…慰霊の…行事を毎年重ねております」

 後半はしどろもどろ。はっきり説明できないことを7年間も続けている。小池氏も朝鮮人虐殺をなかったことにしたい人なのか? 歴史から目を背ける都知事でよいのか。もし小池氏が都知事選に出馬したら私も街頭で直接質問してみたいと思う。他の候補者にも追悼文への対応について聞いてみたい。これも都知事選の重要な論点では?

(プチ鹿島)