森保監督「新スタジアムまで広島」の夢あった…運命の解任、日本代表で“故郷”返り咲き平和願う

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日刊スポーツ

シリア戦前日の公式練習に臨む森保監督(撮影・前田充)

 サッカー日本代表の森保一監督(55)が、平和への願いとともに“故郷”広島で初采配を振るう。W杯アジア2次予選B組の最終節シリア戦は11日、エディオンピースウイング広島で開催される。04年7月4日スロバキア戦以来20年ぶりの広島での日本代表戦。その会場は、森保監督がJ1サンフレッチェ広島の指揮官時代に、建設構想に関わったスタジアムとなった。平和をテーマに掲げる思い入れの強い場所に、代表監督となって舞い戻ってきた。    ◇  ◇  ◇  被爆地ヒロシマ。20年ぶりの代表戦を翌日に控えた日も「時代の生き証人」原爆ドームは79年前と変わらぬ姿で、静かにじっと、真夏を思わせる強い日差しを浴びていた。そこから1キロほどのエディオンピースウイング広島。森保監督は会見で翌日のシリア戦に向けて、全勝締めへの誓い、平和への思いを言葉にした。  「日本全国の皆さまにサッカーを通して、広島に足を運んでもらいたい。なぜかと言うと、広島は世界に2つしかない原爆被爆地という土地ですし、現在も世界で戦争、紛争が多く起こる中で悲しい思いをしている。尊い命を、街の皆さんが平穏で穏やかに暮らせるということを、平和を、考えていただけるからです」  世界に2都市。もう一方である長崎に生まれ、広島でサッカー人として大成した。どちらも大事な故郷であり、加えて親世代は被爆を知る。生まれながらにして、強い平和への願いを抱いてきた。そして、広島に誕生したのが“ピース”スタジアム。ここで指揮を執ることは1つの夢だった。  もしかしたら「日本代表の森保監督」は幻になっていたかもしれない。それほど広島への、平穏への思いは強い。監督として4年間で3度のJ1制覇を果たしながら、毎年のように選手を引き抜かれ、前半戦で17位まで沈んだ17年7月に、解任。憂き目に遭ったことで、運命的にフリーになったことで、東京五輪代表とA代表の兼任監督へ道が開いた。その時、広島ビッグアーチからのホーム移転構想にも深く携わっていた。  いつか日の丸へ。淡く思い描きながらも「新スタジアムが実現して、そこで指揮するまで広島の監督でいたかった。かなうなら、代表よりも海外よりも優先したかった」と打ち明けたことがある。今は日本を語れる、より強く平和への願いを発信できる立場で帰ってきた。夢は想像を超えた。  広島の市街地に鎮座するサッカー専用の“マチナカスタジアム”は、試合の熱気とともに平和への願いも喚起する。メッセージとともに、未来永劫(えいごう)、戦争のない社会を創生していく。自らに課すビジョンと理念は揺るぎない。  「サッカーはグローバルスポーツ。平和記念公園、原爆ドームがある中、歴史に触れていただいて平和について考えてもらいたい」  勝ち負けだけで終わらない。被爆から80年目の夏。森保一という人間の生きざまが、広島で1つの形になる。【佐藤隆志、木下淳