その人の姿は、その人自身がかけている言葉、そのものである

 

 

ある種の高いステータスを保持している家系では、小さな頃から特にその使う言葉に注意をおいて育てられるようです。そのことが最も重要だと受け継いできたからでしょう。自分で身に着けるという意味での言葉は、その気になりさえすれば誰でもできることです。

 

確かに子供の時に聞いていた言葉の影響が大きいことは否定できません。けれども成人してからでも、自分の使う言葉に注意を払っていけば、どのような言葉でも身に着けることは可能です。自己実現について書かれている本には、自分の目指しているステータスの人たちと交流するようにとあります。

 

その人たちの振る舞いであったり、身に着けるものであったりをまねするようにとも書いてあります。私が思うに、そこで身に着ける最大のものは、言葉なのではないでしょうか。それも、自分自身にかける言葉です。もはや、その人の姿は、その人自身がかけている言葉、そのものであると言ってもいいように思います。

 

 高価なものを身に着けるから変わるのではなくて、高価なものを身に着けている自分にかける内なる声に皮膚や身体の細胞が反応しているということです。ですから、実際のところは物ではないわけです。かなり古いですが、ボロは来てても心は錦、ということでしょうか。

 

『皮膚で聞くボイスヒーリング・子どもの皮膚を通して見た世界』より抜粋