センスが良かったり、秀でた特技があったり、頭が良かったり、ルックスがよかったり、人の羨望の的となるような方は、すごいなとは思うのですが、私の場合、それだけでは心が動きません。
どれだけ輝かしい方であっても、人を平気で見下すような方には全く魅力を感じませんし、嫌悪感すらおぼえます。本当に自信のある方なら、他人を馬鹿にする必要もないでしょうし、本当の努力家は人を見下す暇などないはずです。
ましてや、講師が自分の生徒を馬鹿にするなんて、絶対にあってはいけないことです。私は、生徒の良いところを見つけ出し、引き出してやることが教育家の勤めだと思っています。それに、何事も「経験と慣れ」だと考えているので、出来ないことが駄目なことだとは思いません。誰にでも得手と不得手があり、不得手な部分は経験不足だから、質の良い経験をもっとたくさん積む必要があるというだけのことです。生徒に質の良い経験を積ませ、出来ないことを出来るようにするのが、教育家の勤めであるはずなのに、自分の生徒を「出来ない」と馬鹿にしていい訳がありませんよね...嘆くことはあっても、決して生徒を馬鹿にしてはいけないはずです。技術ばかりではなく、講師の人間性が与える影響を考えたいです。
私は、自分のプライドばかりにこだわって、大切なものを見失ってしまったような人間にだけはなりたくないですし、子供たちにもそんなふうに育って欲しくないと思います。
きっと「他人に勝つこと」ばかり強いる教育では、大切なものを見失いがちになってしまうのでしょうね...
「リトミック」が「音楽的でない学生を音楽的にするにはどうしたら良いか」を考えて作られた音楽教育法で、よかったです{%うれしいwebry%}「教育」とは、人を蹴落とすためにあるのではなく、「生きる力を養うため」に行うものですよね{%新芽webry%}
今日は「そこのあなた{%びっくり1webry%}心にダムはあるのか{%はてなwebry%}」(すごい昔のドラマの名ゼリフ)と叫びたくなるような日記になってしまいました。もちろん私の先生がそのようなことをするのではありませんし、私や私の身内が馬鹿にされたわけでもありません。
勝手に怒ってすみません{%ブロっくまどう?deka%}
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