さて。
ブログが空いてしまいました。
6月に入ってから、運命の転換期が訪れ、
毎日慌ただしく過ごしています。
運気の流れを読み解くのは至難の業です。
誰が協力者となり、誰が邪魔してくるのか。
予想もつかない事態が続き、戸惑うこともありましたが、
持ち前のエネルギーでなんとか乗り切りました。
いたずらに未来を恐れすぎず、
自分を信じ、周りを信じ、環境の変化を受け入れる。
そして、最後は強運を信じること。
チャンスの女神は前髪しかない。
前髪を掴みそこねたら、チャンスを逃してしまう。
与えられた環境に対して、感謝の思いを持つこと。
「自分は生かされている」ことを心に刻み、
確かな足取りで、地に足つけて前に進んでいくこと。
その気概が、明日の道を開くと信じています。
人生頑張りますよ!
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あなたがたのなかには、こういう人もいるでしょう。
「人を導きたい。愛を与えたい。
けれども、真理を勉強するのに忙しくて、
なかなかそこまで手が回らない」
という人もいるでしょう。
これは嘘だ!絶対に嘘だ。
真実、真理を学べば、
学べば学ぶほど、じっとしていられないはずだ!
そうでなければ、それは嘘だ!
表面だけだ。かたちだけだ。言葉だけだ。
本当のことだと知ったら、黙っていられない。
そして、学びは即伝道となるはずです。
「学習即伝道」「伝道即学習」となってゆくはずであります。
学べば学ぶほどに、
伝えたいことは胸の中を込み上げてくる。
抑えることができない。
そして、人に語れば語るほど、
人を導かんとすればするほど、
己の対機説法能力の不足に悩んで、
「さらに勉強を続けなくてはいけない」と思わなければ嘘であります。
ゆえに、「学習即伝道」であり、「伝道即学習」であり、
この繰り返しで持って、
あなたがたは限りない高みへと昇ってゆくはずなのであります。
私は今まであなたがたに優しすぎたかもしれません。
最も大切な「信仰心」ということに関しても、
三年近く(1990年時点)、ほとんど語ることなく過ごしてきました。
そのことを、あなたがたが、
自分たちの都合のいいように使ってはなりませんん。
信仰は当然のことです。人間としての前提なのです。
これがない人間には、
本当はこの地上に生まれ変わってくる権利はないのです。
ないにもかかわらず、
なぜ、人間の顔をして座っているか!
なぜ、人間の顔をして生きてゆくか!
本来、資格がないのに生きていられるか!
すべてを許しておられる人のその許しに甘えて、
わがままを言うのは。ほどほどにしなくてはいけない。
あなたがたは、今日を境として信仰心に目覚めなければならない。
信仰心に目覚めたときに、
あなたがたは真に強くなるであろう。
あなたがたは「鉄の柱」となることができる。
信仰を知ることによって、
実践することによって、「鉄の柱」となることができる。
あなたがたは信仰を実践することによって、
「青銅の扉」となることができる。
いかなるものも押し破ることができないところの、
「青銅の扉」と化すことが可能であるのだ。
あなたがたは、この「信仰」という二文字をもって、
「鉄の柱」ともなり「青銅の扉」ともなることができるのに、
なぜ、そのような、か弱い存在でい続けるか。
強くなれ!
勇気を持て!
立ち上がれ!
そう、今年こそ伝道の年である。
私の言葉を空念仏とさせないでほしい。
あなたがた一人ひとりの心のなかに、
今、種を私はまいているのです。
その種を確かに己のものとして育ててほしいのであります。
この私の熱情が分かるならば、応えてほしい。
必ず私の声に応えてほしい。
あなたがたが変わっていくことを私は願う。
いや、今日(こんにち)ただ今を境目として、
いや、今この瞬間をもって前後際断し、新しき魂となってほしい。
信仰と愛は、どちらかを選ぶものではありません。
信仰は即愛であり、愛は即信仰であります。
(1990年3月11日 大川隆法総裁先生 第一回講演会 「信仰と愛」(千葉・幕張メッセ))
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