東日本大震災から、明日で丸9年、ですね。

 

 

 

 

被災地の戦いは、まだ終わってません。

忘れちゃいけない悲しみと絶望の日々が、まだあります。

失われたたくさんの命と、希望。

いまだに見つかってない人々。

浮かばれていない、不成仏霊たち。

 

昨年の12月に参加した、「Jヴィレッジハーフマラソン」は、

福島第一原発の一番近くで行われました。

沿道の声援を送ってくれた人たちが、手に持っていたプラカードには、

「福島に来てくれてありがとう」と、書いてありました。

 

数年前に、お見合いのために行った、石巻市の、

大川小学校跡地には、追悼碑が建てられており、

石巻の日和山から見る景色は、ほとんど更地だけでした。

 

いまだに仮設住宅から出られない人たちや、

復興支援のために旅館に泊まり込む作業員の方々、

帰宅困難区域に立ち入れない住人の人たち。

 

先日、映画「FUKUSHIMA50」を、観てきました。

東日本大震災の直後に起きた、東京電力福島第一原発爆発事故の時に、

事態収拾に当たっていた、吉田所長の、戦いの記録そのものでした。

福島の復興が進まないのは、原発事故だけが原因ではない。

原発を海沿いに作った時に、津波が来ることを想定できなかった、

政府の責任は絶対にあります。

吉田所長は、大津波が来ることを想定した上で、リスク対策のために動いていた。

その矢先に、大震災が起きてしまって。

映画では、「命を懸けて先手、先手を打って事故対策に当たる現場の人たち」と、

現場の声など無視して無謀な命令ばかりする上層部、

原発の知識もなく、ただ事態を混乱させてばかりだった、時の総理の姿など、

ありありと描かれていました。

 

新潟は、2004年と2007年に、

新潟中越地震、新潟中越沖地震を経験してるけれど、

東日本大震災は、その比ではない。

(新潟の時は、津波もなく、柏崎原発も無事でしたから、、)

無謀な上層部の命令通りにしていたら、

福島第一原発の一号機、三号機に続いて、二号機の爆発も起こり、

放射能汚染の比率は、かつてのチェルノブイリ原発事故の3倍ほどだったが、

それを食い止めたのは、現場を指揮した吉田所長だったと言われています。

 

 

 

 

 

AKB48グループは、

震災から2ヶ月後の5月から、「誰かのために」プロジェクトを立ち上げ、

ずっと、被災地支援をしているのですよ。

 

毎月、被災地へ訪問し、ライブを行い、募金も行っており、

被災地で行われるイベントには、必ずメンバーの誰かが訪問しています。

 

昨年までで、被災地訪問は71回となり、

復興大臣から感謝状も送られています。

 

メンバーの中にも、被災者が数名いて、

震災の時の様子を語り継いでいます。

 

オフィシャルサイトの中で紹介している、

復興支援ソング「掌が語ること」「誰かのために」の無料配信もあります。

2011年10月26日には、復興支援ソングとして、

AKB 23thシングル「風は吹いている」が発売されました。

 

復興が進むように、自分にもできることをしたい。

そう思って、微々たる支援ですが、復興マラソンに、また来年も参加します。

 

 

 

 

たくさんの失われた命と希望が、報われますように。

 

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掌で掴めるものなんて たかが知れている
指を大きく広げてみても 何かがこぼれてく

それでも僕はこの掌 何度も差し出して
目の前にある未来の砂を そっとかき集めよう

夢は いつも
一人で見始めるもの
過ぎた時間も忘れるくらい

今やりたいこと やればいい
たとえそれが小さな掌でも

一生懸命 掬い続ければ
いつか山ができる

その砂をぎゅっと握ってみよう
言葉よりも先に…

この掌の大きさなんて 何も考えるな

あの空より人間はちっぽけだけど
生まれ変われるよ

夢は いつもみんなで助け合うもの
こぼれた砂 拾い集めて
少しずつ 積み上げればいい

一人きりじゃ 僅かな手応えでも
その掌が いくつもあれば
きっと山はできる

ラララ… ラララ…
ラララ… ラララ…

ラララ… ラララ…
ラララ…
掌が語ること

 

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