今回の展示会では、清凉寺式釈迦如来像も出展されていました。小田原市・東学寺の釈迦如来立像です。

頭髪を明瞭な縄目状に表し、衲衣を両肩に懸け襟状に首まで覆うなど、清凉寺式釈迦の典型的な作例といえます。

釈迦如来立像

像高167㎝

南北朝時代

小田原市・東学寺 

県指定文化財

 

京都・清凉寺本尊の釈迦如来立像(国宝)は、平安時代・寛和三年(987)に僧 奝然(ちょうねん)によって請来された三国伝来の生身の霊像とされる中国・北宋代の木彫像です。

奝然は、北宋の首都開封において、インドで釈迦の在世中に造立されたといわれる栴檀材製の釈迦如来立像(『栴檀瑞像』)を拝し、現地の仏工に依頼してその模刻像を作り、日本に持ち帰って現在の清凉寺を開創しましたが、やがて、インドから中国にもたらされたオリジナルの霊像が実は模刻像と入れ替わって日本に伝来したとの説話が生まれ、鎌倉時代に入って、その模刻像のさらに模刻像の造立が全国で流行しました。

釈迦如来立像

像高162cm

中国・北宋   

京都・清凉寺

国宝

 

旧相模国に武蔵国の一部を加えた現・神奈川県下においては、横浜市・真福寺像、同・称名寺像、鎌倉市・極楽寺像、旧鎌倉市・釈迦堂像(明治初年から東京大円寺蔵)が知られており、鎌倉時代初期~後期の作として、いずれも国の重要文化財に指定されています。

この、東学寺像は、これらにやや遅れて南北朝時代(14世紀中・後期)に造立したと考えられており、その分だけ類型化が進んで、初期の模刻像に見られたような、請来像を可能な限り忠実に再現しようとの意識が感じれないのは残念です。

 

さて、東学寺像の元となった清凉寺像の、さらに元になったインド請来の釈迦像はどのような仏像だったのでしょうか。

オリジナルの『栴檀瑞像』は清朝末期の戦乱により焼失したといわれ、現存しませんが、近世に入って作られた‟模刻像”の一つが、東京国立博物館にあります。

栴檀瑞像

中国・清代(18~19世紀)

東京国立博物館

 

この像、頭髪は不明瞭で面相も類型的なものの、衲衣の付け方は京都・清凉寺釈迦如来立像と同じで、図像的には同一系統といえます。

 

実際の古代インドの仏陀像、いわゆるガンダーラ仏の立像は以下の通りです。

 

仏陀立像

2~3世紀

パキスタン・ペシャワール周辺出土

東京国立博物館

 

この像は、古代ギリシャ彫刻の影響を受けた、秀麗な面貌と写実的かつ装飾的な衣文の衲衣に覆われた理想的な肢体を持つ、ガンダーラ仏の典型ともいうべき彫像です。

京都・清凉寺像、清朝栴檀瑞像とこのガンダーラ仏とを比べてみますと、

ガンダーラ仏のいかにも男性的な両肩の豊かさと、ふくらはぎの中ほどまでしかない衲衣の裾から下の力強い足元の印象は、デフォルメされながらも、栴檀瑞像に受け継がれていると思われます。

また、上掲の写真では分かりづらいのですが、京都・清凉寺像の、あの時代の仏像にしては若々しく見える面相に、ガンダーラ仏に通じる青年の印象を私は感じますが、皆様にはいかが思われましょうか。

京都・清凉寺 釈迦如来立像 (拡大)

 

 

 

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さて、ガンダーラ仏が出たところで、私の最新コレクションを紹介させて頂きます。

 

パキスタン・国立カラチ博物館所蔵 仏陀像頭部の石膏製レプリカです。デッサン練習用として作られたのでしょう。全高は木製の台座を含めて24㎝あります。

オリジナルはスタッコ(化粧漆喰)製で、4~5世紀の作とされています。前掲の仏陀立像よりやや遅れる時期ということになりますが、より女性的というか、繊細さを感じます。

例によって某オークションでの落札品ですが、私は、見ての通りの優美さに、1~3世紀に法華経が成立した直後の、当時の仏教教団の隆盛ぶりを偲んでおります。

 

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