半世紀近く前の思い出話をさせて頂きます。
私もいつの間にか熟年期に近づき、ふと、昔を懐かしむことが多くなってきました。
しかも現在のインターネットの発達で、思い出の地の情報を得やすくなっており、多少の画像を添えながら一文を綴る楽しみもできました。
他サイトでかの地の現況を伺いながら、とりとめのない昔話をさせて頂くことが今後増えるかと思いますが、よろしくお願い申し上げます。
なお、画像は全て、他サイトからの借用です。ご了承下さい。
『清瀬薬師』は、東京都清瀬市下清戸2丁目にある浄土宗長命寺の薬師堂のことをいいます。
地図を掲載できず申し訳ありませんが、清瀬地域と江戸を結ぶ旧街道沿いに当たります。
私が小学生高学年の頃、土曜日の午後とか日曜日になると、練馬区南大泉の自宅から、自転車で現在の埼玉県新座市方面へ、いつも一人で出かけておりましたが、道なりにゆくといつの間にか清瀬市内に入っており、当時はまだまだ畑や雑木林があちこちに残っていました。
当時、すでに仏像に興味のあった私が自転車を走らせていて、たまたま気づいたのが結構大きなお寺の向かい側にある、まわりを雑木に囲まれた小さなみすぼらしいお堂でした。
現在、私のみた古いお堂は取り壊されて更地になり、新しいお堂がお向かいの寺院境内に建立されているようです。
それがこの、立派な薬師堂で、安置されている薬師如来像は清瀬市の指定文化財となり、お堂の前には案内板も設置されています。
案内板の説明によれば、室町時代の作と推定される高さ約80センチの木造で、もともと足利氏によって滅亡させられた新田氏の持仏で、落城の際、行方不明になったのがこの地の梅の木の中?から発見されたので、お堂を建てて祀るようになったとのこと。写真がないか、いろいろ探したのですが、清瀬郷土館ホームページのお寺(浄土宗長命寺)の紹介欄に、こんな小さな写真が添えられれていたものがあるだけです。
半世紀近く前、私が昔の小さなみすぼらしいお堂に近づくと、扉に鍵がかかっておらず、中に入ると、さながら物置で、埃をかぶった古道具がひしめいていました。畳敷きの床を土足で上がり込み、奥の厨子を勝手に開けると、金色の仏像が立っていました。
薬壷をお持ちでしたので、すぐ、薬師如来とわかりました。お首は挿首だったようで、しかも矧ぎ付けが緩んで傾いており、私が触れる(?)と簡単に首が抜けてしまいました(!)
今から思えば甚だ失礼極まりない行為でしたが、当時は、そんな振る舞いが許されるぐらい、人々から忘れられ、お寺さんからも見捨てられたような存在でした。
今は仏像も指定文化財になり、お寺の境内に立派なお堂が建てられていますが、昔の敷地には当時と変わらぬ旧街道の面影が残るようです。




